川北英隆のブログ

地震後の変な風潮

3.11後に目立つのが「日本は強い」とか、「頑張ろう」とかの言葉である。もちろん、それは正しいのだが、面と向かって、それも合言葉のように異口同音に言われると、「何か違う」と思える。
今回の地震は一生に一回遭遇するかどうかの出来事だった。60年生きてきて、それも200キロ以上離れた東京にいて、これまでにない揺れと物の落下を経験したわけだから、東北の惨状は十分に理解できる。
小さい頃、調べると10歳のときだったらしいが、チリ地震の津波で大勢の人が亡くなったことをかすかに記憶している。かつて気仙沼、陸前高田、大船渡を鉄道で訪れ、釜石との境にある五葉山に登ったとき、そのチリ地震のかすかな記憶が重なった。
年令とともに記憶力が衰えているものの、今回の地震は死ぬまで覚えているだろう。
起きたことはどうしようもない。第二次世界大戦に駆り出された父親や同僚は、酒の席でいつも「青春が奪われた」、「誰それが生きていたら」と言っていたが、究極は明るかった。生き残った者として、自分でやれることをやっていたからだと思う。そんな席で、「頑張ろう」なんて合言葉はなかった。「次もまた」と言っていたが。
「日本は強い」とか、「頑張ろう」とか叫ぶことは不要である。そんな言葉は、どこか他人行儀である。隣国、友好国が言ってくれるのはありがたいが、本当に同じ国で言う言葉なのだろうか。
最初にやれることといえば、個々人が、自分の能力を発揮することでしかない。それも、一歩先を見据え、行うことが必要である。そのうえで、政治として、行政として何が不可欠なのか、現在のものとどこが違うのか、もう一度考えてみなければならない。理想とかけ離れていたことが、今回の惨状の一因ではないのか。
より具体的には、3/21にも書いたが、何故、過去の地震のデータが活かされなかったのかが問われなければならない。原発は必要悪だと思うが、ではどう共存していくのか、癒着なしに、真剣に考えなければならない。東京集中の問題も解決しなければならない。電力会社を含め、企業もまた、望ましい生産体制を再検討すべきだろう。さらには、どの国が信頼に足る国なのかも今回明白になっただろう。以上、思いつくままである。
危機はチャンスである。気合いや同情だけでは何も進歩しない。異口同音に叫ぶ前に、まず自分自身のことから出発し、今後の日本のあり方を考え、正しく行動をしたいものだ。

2011/03/29


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