川北英隆のブログ

記憶力と年齢

葬儀の続きである。父側には、弟と妹が残っている。二人は父親に会いたがっていたが、妹は足が少し不自由になり、弟は俳句を主催しているので忙しいらしい。そこで、是非会うように宣伝した。
半分本音だが、父親はよくて数年だろうと思う。長生きされても困るし、適当に切り上げてほしいものだ。とは昨日は言わなかったが、「会うのなら今年ぐらいだろう」、「この数年の経験からすると、今年の夏の熱中症を乗り越えられないかも」と吹聴しておいた。
と、その弟の憲央叔父さん曰く、「お父さんとは長らく会っていない」、「あんたとも40年ぶりかな」と。40年というのは大袈裟だが、多分、20年やそこらは経っているだろう。子供の頃、よく会っていたので、父方の叔父、叔母の中で一番よく知っている。それなのに、昨日は一瞬で気づかなかった。80歳になったとかで、髪が完全に白髪になっていたせいもあるだろう。
しかしその時、その叔父さんの奥さん(義理の叔母さん)と、その従姉妹2人とが反論するには、「3年前の叔母さんの葬儀で会っている」、「(私の)お父さんと一緒に葬儀の後で飲んでた」と。叔父さんと私は、「そんなん知らんで」と頑張った。私は3年前の葬儀にも出席したが、叔父さんは「(俳句の?)用事で出席できなかった」と言っていた。
いつまでも平行線なので、合間を見つけて父親に電話し、事実を確かめた。父親は、大分記憶力が衰えているにもかかわらず、「会ってへんで」、「(叔父さんの奥さんの)智子さんには会ったけど」との返事だった。
義理の叔母さんと従姉妹側もさるもの、3年前の葬儀のことを亡くなった叔父さんの子供(つまり従姉妹)に聞いていた。その従姉妹が言うには、「(私の)お父さんが、憲央ちゃん、今日はどうしたんやと質問したのを覚えている」と。つまり、叔父さんは欠席だったと証言してくれたわけだ。
ということで、年齢のいった側の勝ち、若手の負けとなった。こっち側は当事者だからちゃんと記憶していて当然なのだが。
ついでに、「80歳の爺さんを憲央ちゃんなんて言えるのは」、「これからは憲央ちゃんって呼ぼう」と、大笑いになった。いつまで経っても年齢差だけは尾を引くものだ。

2011/06/13


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