川北英隆のブログ

大震災から1年で何が重要か

東日本大震災から1年が経過した。大変な1年間だったと思う。亡くなられた方には冥福を、被災された方にはできるかぎり早い復興を祈念したい。
とはいえ、1年経過した今日のムードは異常ではないかと思う。振り返りばかりでは何も進まない。「1年前の今日はこうだった」ではない。「今後、何を、どのようにすべきか」が重要である。
それにもかかわらず、各放送局にあるのは、1年前の当日はこうだったとの映像であり、あれから1年後の今日はこうだとの取材がほとんどだ。今後について、どの程度語られたのだろうか。もちろん、「頑張ろう」という合言葉はあるのだが、どう頑張るのかが明らかでない。
この1年間を知り合いと語るとき、必ず出てくるのは「原発の事故さえなければ、もっと軽傷だった」ということである。要するに、原発の事故があったから、日本社会が複雑骨折してしまった。
今後を考えるとき、「東電が悪い」との評価は表面的すぎるだろう。東電ではなく日本の社会経済システム全体が肝心のことを見逃してきたため、もしくは意図的に見逃したため、原発の事故が生じたのではないのか。一般的な評価に世の中全体が柔順すぎたともいえる。疑うことと、疑うことを許容する社会が必要であり、感情ではなく論理で疑う姿勢が求められる。
原発の事故は日本社会の弱さを露呈した。社会資本や企業設備の集中(非分散化)、人口減少や老齢化、政治もしくはリーダーの脆弱性、エネルギー供給の不安定性、これらの帰結としての貿易収支の赤字転落である。中央政府の資金不足も異常である。幸い、日本には過去の蓄積がある。だから、日本政府の債務はギリシャ的にならないでいる。年金制度に関し、世代間の不公平が訴えられている。しかし、老人から言わせるのなら、「我々が働いたから豊かな日本がある」ということなのだろう。
局地をつつく議論ではなく、大局的な議論が必要である。とはいえ、大局を無視した議論の方が簡単だし、直感的に理解しやすいから、受けがいい。
日本の今後を考えるとき、当面のマクロ経済の観点からすれば、エネルギーをどうするのか、貿易収支の赤字化もしくは黒字の縮小にどう対処するのか、政府の財政赤字をどう乗り切るのかが重要だろう。さらに長期的には、人口問題、質の高い労働力の確保、教育の問題が差し迫っている。
1年前の悲しみにどっぷり浸かる余裕など、日本にはない。まあ、今日1日くらいは仕方ないのか。

2012/03/11


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