川北英隆のブログ

大和郡山は江戸時代の復活に

今日のニュースによると、リニア新幹線の名古屋・大阪の中間駅として郡山市が浮上しているという。地元民として「えらいこっちゃ」、「ええこっちゃ」という次第だが、それほど目出度くもない。
ニュースによると、名古屋と大阪を直線で結ぶと奈良の北部を通る(これは以前から指摘されていた)。その奈良の新駅として、交通の便からすると奈良市と郡山市が浮上したとのこと。地元からして当たり前だが、JRと近鉄が唯一(かな?)の鉄道であり、その2つが北部で接近、交差するのは奈良市と郡山市しかない。そのうち奈良市は前にも書いたように遺跡が多すぎる。郡山市は奈良と比べると遺跡が少ない。ということで、郡山が有力候補に浮上したそうだ。
昔、郡山は奈良盆地の交通の要衝だった。大阪から生駒山を越えると郡山に入る。戦国時代に代官が居住していたのも、豊臣秀長やその少し前に筒井順慶が郡山近辺に城を構えたのも、主要な街道が郡山を起点にしていたからだ。ということで、リニア新幹線は江戸時代の郡山の復興をもたらすかも。
でも、そもそもリニアが奈良を通ったところで何の意味があるのか。最近、急いで京都がリニア誘致のために手を挙げたように、当面の経済効果からすれば京都が優っている。
もう1つ、郡山に駅ができたとして、それは2045年頃だそうだ。もうこっちは死んでしまっている。正式に郡山を駅にすることが決まれば、駅が開業する前に土地の値段が上がるだろうから、両親が住んでいた住居を売って、我々の老後の生活を安泰にする手があるかもしれないものの、いつのことになるのか。いずれにしても、「たら」、「れば」の多い半分以上仮想の話でしかない。

2012/03/14


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