川北英隆のブログ

明神平での遭難騒ぎに思う

昨日あった中学校のクラブ活動での遭難騒ぎはいくつかの教訓をもたらした。僕自身が迷いかけたコースであるだけに、反省も込めて教訓を書いておきたい。
1つの教訓は、薊岳から明神平へのコースがあまり整備されていないコースであることから得られる。僕自身迷いかけたわけだが、実は初めて歩いたわけではなかった。2回目だった。そのため、少し油断をして午後からの登山となった。予想以上に相棒の歩みがカメさんだったので(カメさん、ゴメンね)、日が暮れかけ、迷ったわけだ。もちろんヘッドライトは持参していたが、その明かり程度では正しいコースは見つからなかった。それくらい草というか笹が深い。今回の場合、雨の中、多分霧もかかっていたと思うが、コースを見つけられない事態は十分に考えられる。低い山だからといって油断してはいけない。引率の教員が薊岳のコースを歩いた経験があるのかどうかも問題なのだが。
第二に、そんな雨なら、前々日に上がってきた谷沿いの明瞭なコースを何故戻らなかったのかである。当初予定した通りに歩きたい気持ちはわかるが、危険性が高ければ、山ではエスケープ・ルートを使うのが鉄則となる。もしくは、もう1日、明神平の小屋で滞在することである。状況に応じた判断ができないと、本当に遭難してしまう。ましてや中学生を引率しているのだから。
第三に、これが不思議なのだが、発見された場所が薊岳の南西側、かなり下った地点だということである。地図では薊岳(関心があるのなら、国土地理院「ウォッちず」の「伊勢」の「大豆生」に入り、黄土色に塗られた台高山脈を探し当て、それをたどると明神平が出て来て、その西側に薊岳が見つかる)の西側にもう1つピークがあり、そこから南西に大きな尾根が伸びている。多分、その尾根に入ったのだろう。しかし、地図とコンパスがあれば、また過去に一回コースを通っていれば道の状態はある程度わかるはずで、そんな尾根に入ってさらに延々と下るはずもない。引率者の経験不足を疑わないといけない。経験が浅い場合、一般的でないコースを、悪天をついてまで歩くべきではない。
第四に、携帯は普通、山では繋がらない。繋がるのは広い場所か頂上付近程度である。ということで、連絡手段として携帯は当てにならない。
でも、最後は水場で野宿したわけで、最終的な判断は正しかったと言える。このおかげで最悪は免れたわけだ。ニュースでは「中学生にすり傷・・」と書いてあったように覚えているが、道なき道を歩くとかすり傷ぐらい山ほどできる。これは騒ぎ過ぎだろう

2012/08/15


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