川北英隆のブログ

伊勢志摩から尾鷲へ

伊勢は伊勢神宮である。何故、そこに皇室の氏神があるのかは調べてみないとわからない。とにかく重要としておこう。志摩は海産物の産地として栄えてきた。では、その奥の尾鷲はどうか。
伊勢と志摩の深い関係は熨斗(ノシ)に象徴されるのではないかと思っている。志摩はリアス式海岸のため岩場が発達し、貝類や甲殻類が多い。アワビも大きなものがいたのだろう。その昔、大皿になりそうなくらいのアワビの貝殻が実家にもあった。その大きなアワビを細く長く切ってノシにしたらしい。見たことはないが。ノシを神事や祝い事に用いるのは、そもそもアワビが古代の日本人にとって美味かったからに違いない。
志摩から紀伊半島を南に行くと尾鷲がある。三重県なのか和歌山県なのか、微妙な地域である。県の境界の変遷もあったらしいし、奈良県と三重県の境に和歌山県の大きな飛び地もある。関西人ではあるが、3県の正確な境を知らない。
それはともかく、尾鷲の産業は林業である。林業を営む知り合いも尾鷲にいた。その木材はその昔、多分、伊勢でも使われたのだろうが、江戸が主要な消費地だったらしい。船を使うと江戸が近いから。
そんな伊勢志摩から熊野にかけての地域は津波の危険地域でもあると、先日のゼミ合宿で改めて認識した。鳥羽の町中を歩くと、海抜が表示され、避難場所の表示もある。東日本大震災後に整備されたもので、海抜の表示に使ったペンキはくっきりしていた。南海地震が起きても、地球の裏側のチリで大地震が起きても、津波が押し寄せる。
関西人でありながら、志摩半島の南端から熊野までの海岸は行ったことがない。一度通ってみたいので、何をとりあえずの目的に旅行するのかを考えているとこだ。
なお、尾鷲の林業について、三重大学・笠原六郎「尾鷲林業の成立と展開」という1985年の論文を見つけた。長い論文なのでパラパラ見ただけで終わっている。サイトは次のとおり。
http://miuse.mie-u.ac.jp/bitstream/10076/3404/1/AN002343150001401.pdf

2012/09/29


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