川北英隆のブログ

猫の出世ときっかけ

何回も確認し、何回も書くが、荒神橋のマロ猫をとんと見ない。写真家風のオッちゃんも姿を消した。かといって9月の台風の大雨でマロが流されたわけでない。家猫になったのはほぼ間違いない。
猫がノラ猫から家猫になったとして、それが出世かどうかは「猫の気持ち」になれないからわからない。とはいえ、犬と違ってほとんどの猫は外出の自由が確保されているから、家猫になったからといって囚われの身になるわけでない。夜は家の中に入れられ、不自由な可能性があるものの、家猫になると昼行性になるから、大した問題ではないだろう。ということで、3食、夜寝と昼寝付き、暖房付きの生活は猫にとって出世以外の何物でもないと思っている。
ちなみにわが家に13年いたロッキーは夜中に熟睡していたし、トイレの場合は庭と部屋を隔てているサッシの鍵の部分をチャランと爪で鳴らして知らせる。そのたびに人間が猫のための自動ドアの動力にされてしまう。そして、猫がトイレから帰るのを眠い目をこすりながら待ち、家の中に取り入れるや、土をかいて汚れた脚を濡れ雑巾で拭く羽目になった。
それはともかく、野良猫が家猫になるには運命が必要である。ロッキーは近所の人が「変な子猫がいる」と話したのがきっかけで、その変な姿を見に行くと、そのまま家に付いて来てしまった。それでも納屋を寝床としてあてがわれる猫にとどまっていたが、数ヶ月だか経ったある朝、雨戸を開けた瞬間に家の中に飛び込もうとしたものだから、顔が雨戸に激突して出血、病院行きとなった。もちろん助かったのだが、そのおかげで完全に家で飼われる猫となった。
想像するに、台風の大雨が降った日、マロを心配したオッちゃんが家の中にマロを連れ込んだのだろう。それがきっかけで、マロは家の中を好み、オッちゃんも「しゃあないか」と住まわせているのだと思う。
災難は幸福の生みの母である。その災難を生き延びるだけの生命力さえあれば、すばらしい(もう一度言うと、本当に猫にとってそうなのかは、猫の正直な声を聴いたことがないので不明ながら、多分満足な)未来が待っているだろう。

2013/12/05


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