川北英隆のブログ

公的年金の資産運用のあり方

今日の日経朝刊の2面に「公的年金、リスクとれる?」と題した編集委員のコメントが載っていた。その結論は、「(今後の)作業が必要」とのこと。この点、公的年金とは何か、本質を問わないといけない。
公的年金として年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)に積み上がっている資産は、個人や企業が保有する普通の資産とは異なる。確認しておこう。
GPIFの資産とは、従業員とその従業員を雇用している企業が拠出し、さらに政府が制度的な補助を与えつつ、将来の年金給付に備えるための資金である。日本の公的年金は自らの世代が自らを養う積立方式ではなく、若者世代が老人世代を養う賦課方式でもない。その中間的な制度であるから(何故、そうなったのかは別問題)、120兆円もの資金がGPIFに貯まっている。
こういう公的で重要な制度を国としていかに位置づけるのか、その視点が本質的に重要である。民間から保険料を徴収するとはいえ、それは全額ではないし、制度設計上、保険料が不足することもある。過去の歴史は、政府の見通しの甘さから保険料不足の連続であり、国民の側からすると制度の改悪が続いている。一方の政府は、原則として5年毎に状況を見つつ制度のチューニングを行うものの、制度の存続に対しては責任を負っている。制度を廃止すれば、それこそデフォルトである。
言い換えれば、公的年金は政府にとっての債務である。しかし、政府の債務だとの認識が、政府側にも国民側にも不足しているのではないか。だから、公的資金の運用に関する有識者会議の提言もそうだし、今日の新聞のコメントもそうなのだが、締まらないものになってしまう。
政府債務だと思えば、債務としてきちんと認識し、対応しようとの仕組みが必要になる。
今日の新聞にもコメントしてあるように、アメリカは賢くて、公的年金(基礎部分)の資産のすべてを「市場性のない国債」に投資したことにして、政府の勘定上も、国債という債務だと位置づけている。国としての自信の表れでもある。
一方で、北欧の国は大胆にも、自国の株式や債券には多くを投じていない。自国市場が小さいこともあろうが、基本的発想は、1つの器(公的年金の場合は国)にすべてを盛らないという分散投資にあるだろう。自国経済が破綻すれば、自国の株式や債券は大混乱するだろうし、公的年金制度も破綻する。アメリカの公的年金の場合を例に考えれば、アメリカが破綻すると国債が無価値に近くなり、国には国債に代わる金がないために年金制度自身も維持されず、国民は二重に打撃を受ける。過去に積み立てた財産も、将来の年金も失うわけだ。このため、北欧は海外資産に、株式を中心として大胆と思えるほどに投資している。
こう考えると、GPIFの資産運用(国債等国内債58%、国内株16%、海外債券・株式24%、残りは短期資産)はいかにも中途半端である。もちろん、過去の投資収益率をベースとして投資理論的に計算したものを基準にしているのだが、投資理論の数値はいじれるし、そもそも何が故に投資理論なのか、その議論が欠けている。中途半端な国だから、本質を考えることなく、中途半端に投資理論にすがったのか。

2013/12/12


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