川北英隆のブログ

海外からの労働者の是非

昨日(3/29)の日経新聞・大機小機は労働力人口の予測基づき、海外からの労働者の受け入れについて早急に議論すべきとする。要するに、海外からの労働者を受け入れるための環境整備論である。
労働力人口と表現した場合、日本語の感覚として潜在的な人口を意味するように思うので、労働を実際に提供する人口のことを意味したいのであれば、「労働人口」の方が正しいと思う。それはともかく、その50年後の労働人口は現在よりも18%(出生率が向上し、老人や女性の労働参加が進んだ場合)?42%(最悪の場合)減少するとのこと。だから海外からの労働者を呼ばないと経済に悪影響があるとの主張である。
なお、コラムでは「外国人労働者」と書いているが、「国の外」から来るのでは「人でなし、つまり本当のエイリアン」かもしれないから、日本の場合であれば海外労働者か、「海外」であれば厳密には「どの島の日本人や」と言われかねないので、「他国労働者」と表現するのが正しいだろう。
さて、この大機小機のこの主張には大きな飛躍がある。「GDPで計測した経済発展が望ましい」との飛躍が1つ、「現在と同じような労働集約的な生産が未来も引き続き行われる」との飛躍がもう1つである。
昔、地理の時間には「日本の人口密度は非常に高く、これが社会に弊害をもたらしている」と習った。公害問題などが念頭にあったのだと思うが、人口が多いことは人間の生活にとって必ずしも望ましいことではない。人口が減り、労働人口も減る未来は、経済外の要素を含めて「すばらしい日本」を作りうる千載一遇のチャンスかもしれない。ブータンのような発想である。一方、「経済的発展」のみを望むには、国家財政上、軍備拡張上は望ましいのは確かであり、つまるところ権力者の発想に近い。しかし、一般の日本人としてみれば疑わしい。
別の視点から海外労働者を大量に受け入れた状態を考えてみよう。どの国も隣国と仲良くできないのが実態である。過去、隣国とはいろんな局面で争ってきたから。また、ヨーロッパを見ても、海外からの労働者とは決してうまくいっていない。排斥運動が絶えないのである。そんな中、現在の隣国といざこざのある日本に、さらに海外労働者が来ればどうなるのか。彼らの権利と義務を明文化し、それを行政的に担保する仕組みが提供できるのか。介護問題1つとっても、後手の対応しか取れてこなかった政府には大いなる不信感がある。
僕が考える理想的な社会は、いくつかのコンセプトで成り立つ。
1つは、老齢化を逆手にとり、老齢化にふさわしい社会インフラと仕組みを作り出し、海外にそのノウハウを輸出すること。
2つに、経済活動を地方分散すること。そのために都市生活に重税を課すことである。広々とした地方に住めば、職住が近接し、少子化対策になるし、子供の教育上も望ましい。
3つに、これらの前提であるが、仕事、生活においてIT技術の活用を一段と進化、加速させること。IT技術により、労働力不足がカバーできるとともに、日本の労働の質が高度化する。単純作業の多くは機械で代替できるだろう。職住の近接も(地理ではないという意味で)質的に進むだろう。
過去の体験だけを引きずり、短絡的に「外国人労働者」の受け入れを叫ぶのでは、考えが浅すぎる。そんな考えに基づき、議論をいくら積み重ねても、つまらない社会しか生まれない。

2014/03/30


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