川北英隆のブログ

再び坊城を訪れる

5月に亡くなった川北憲夫叔父さんの49日があり、橿原の坊城に出かけた。その席で、前回のブログにいくつか間違いがあったことを指摘されたので、いずれきちんと書き直そうと思っている。
これは父親の弟、妹の問題なのだが、多くは終戦後に戸籍と異なる名前を使っていた。父親もそうだったし、憲夫叔父さんも名前を変えているようだ。「憲夫」と49日の案内状に書いてあるのだが(もちろん戸籍もそうなのだが)、年賀状には「憲央」と書いていたのを思い出した。実は俳人として有名で、何冊か句集を出しているし、雑誌「七曜」の編集もしていたとのことだが、当初、「川北憲夫」ではインターネットでヒットしなかった。それが、「川北憲央」で検索するとヒットする。
今日の法要は坊城の家であった。我が父親の時は家で法要をしていない。一回は家でやるのが故人のために良かったのかなと思ったりした。というのも、今日は、「小学生の時に泊まった家がこれか」と懐かしかった。また、故人に関する話しも弾む。
話しの弾みついでに、1年前は叔父さんと向かいでよく飲んだということになり、隣に座った一番上の従兄弟が日本酒をがんがん注ぐものだから、昼間から酔ってしまい、もはや寝る時間になってしまった。また、その従兄弟が一月くらい終戦前の生まれだとも判ったし、その妹が昭和23年生まれということも判った。なんということもない情報だが、これまで知らなかったのが不思議な気がした。
ということで(眠たいので)結論を急ぎたい。叔父さんの句集は2冊あり、1つは「国栖(くず)」(東京四季出版)、もう1つは「笛吹」(出版社は調べてみます)である。

2014/07/06


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