川北英隆のブログ

日本人は真面目で+2文字

今日は七夕である。この日、何回か書いているように、「梅雨の七夕とは変やん」と思う。でも誰もこの日が七夕であることを変えようとしない。旧暦というか、本来の七夕はどうなったのか。
今日、大阪市の職員と議論をしていると、関西が日本の中心になるべきとの意見があった。要するに、東京ベースの議論は規則づくしで融通がまったく利かない。もちろん、関東にはいろんな地域の人間が集まっているから、それらの意見を集約するには、何らかの標準化が必要で、このために言葉を初め、東京を中心とした標準化が試みられ、この標準化の結果が現在の日本のルールになりつつあるのだろう。
以上から、極めて緻密なルールが定まっている。しかし、緻密すぎて、変化に対応できなくなっているように思える。いわゆる「遊び」が少ないために、グローバルな変化に対応できないのでは。
世界を見渡すと、日本のルールが国際的に標準的なルールとは決して言えない。むしろ、グローバルにいろんなルールがあり、対立が目立っている。その中で、日本的な独自のルールでは、融通が利かなくなりつつある。つまり、国際的なルールにおいて、東京で決められたルールが異質なものとして扱われる危険性が高くなっている。保護されてきた農業が代表事例である。その他、ガラパゴス化の懸念されているいろんな領域がある。
この点、いい加減と思われてきた関西のルールの方が融通的である。電車を待つのに列を作らないルールに対する批判は大きいが、列を作らないがために得るところも大きい。たとえば、電車の止まる位置が大きくズレたとき、列を作っていない方が自由に対応できる。もちろん、その時でも暗黙のルールは必要だし、そのルールを尊重しないといけない。しかし、盲目的に列を尊重するルールと比べた時に、優劣はどうなのか。
七夕に戻ると、梅雨時に行事を行うのはアホそのものである。今日を七夕に決めたのには、小学校の夏休み前だからとの意味があったと思える。しかし、本当は夏休みの中間の宿題として、8月の初旬に提出させることでいいのではないか。
そもそものルールの意味を考え、行動しないことには、世界にバカにされる。グローバル化が進展している現在、既存の日本のルールのそもそもの意味を再度考えるチャンスである。

2014/07/07


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