川北英隆のブログ

無機質な東京には住めなくて

朝、東京に出てきた。京都を発つとき、寒冷前線が通り抜けた直後だったのだろう、道が濡れていた。北山と東山には雨上がりの雲が、いくつも山の襞から昇っていた。冬にはなかった情景だ。
新幹線の車窓から、そんな低い雲を見つつ、「春が近いな」と感じるとともに、「そういえば東京では見られない風景やな」と思った。
東京で住んでいたのは中央線沿線、郊外だったものの、関東平野が広いため、山を間近に見ようと思えば八王子近辺に住まないといけない。さすがに僕が東京への出稼ぎを命じられた当時、八王子なんて地の果てに近かった。これは言いすぎだろうが、山歩きに出かけてはじめて、「八王子ってちょっとした都会なんや」と知った程度である。
東京に住んでいて見えるのは建物ばかりである。緑といえば公園しかなく、家から少し歩かないといけなかった。本当のところ、東京に出てきた当初、住んでいた三鷹の奥には武蔵野の雑木林があり、少しは自然を感じたのだが、そのうち次々と林が家に置き換わっていった。
東京は無機質になってしまったと言えよう。元々無機質な都心もどんどん変化し、最後の自然である空さえも浸食されている。
以上が今日の実感だったからだろう。風呂に入りながら、「雪よ岩よ」と歌ってしまった。「俺たちゃ街には住めないからに」である。それでも、27年という長い期間、東京での出稼ぎ生活を送ったせいで、まだしも東京に馴染んでいるのだが、この年になっていきなり東京に放り込まれたのなら、すぐに脱出したくなるに違いない。

2015/02/23


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