川北英隆のブログ

母、川北楢糸(祐子)

今日、母の通夜だった。先々週の木曜日の早朝の事件、母の入院から始まった一連のドタバタに区切りがついたのは先週の土曜日である。その話はどこかでするとして、母の昔を少し思い出した。
父と同様、結婚後に名前を変えている。父が「敗戦で人生は半分がメチャクチャ、心機一転や」と、名前を変えたのに母も合わせたのだろう。新しい名前は「さちこ」、元の名前は「ならいと」という。母は長女であり、下に5人の弟と妹がいる。実際には兄か姉かは忘れたが(相続の手続きで判明するだろうが)、上がいたらしい。しかし、生まれてすぐに亡くなったとのこと。そのことから、両親が近所の楢神社(由緒正しい神社らしい)に母の名前をもらいに行ったとのことである。だから「楢」が付いている。
農家の生まれだから、自然のことをよく知っていた。結婚して最初に住んだ郡山の家は郊外にあり、家の外には田んぼや小川や林などが広がっていた。そこで生き物のこと、植物のことを母から教えてもらった。
実は、父の鮮明な記憶は比較的多いのだが、母の鮮明な記憶はそんなに多くない。しかし、空気や水と同じで、本当は大きな影響を受けていたのかもしれないと、先々週からの10日間ほどは、こんなことを考えていた。
もう1つ、そうだったのだということがある。それは、僕が社会人になった時、母がまだ50になっていなかったことである。当時は「年いったな」と思っていた。母が今の僕の年齢だったのは大喪の礼の頃である。その時、母は何を考えていたのだろうか。社会人になって一緒に住んだのは3年しかないので、何も思いつかない。
父と母は(というか、父が、だろうが)、息子はいい加減だと悟っていたのだろう、自分達の最後のことはほとんど準備していた。墓も戒名もすでにあった。式用に写してもらった写真もあったらしい。
「らしい」というのは、母親がそう言っていたから。しかし、未だに見つかっていない。仕方ないので、父も母も、僕が適当に探し出した写真で間に合わせている。それが案外好評なのだが(変であっても、誰も「変やな」とは言わないだろうが)、いずれ実家を整理すれば見つかるだろう。その時に見比べて、「変えるべきなら変えようかな」と、やはりいい加減に思っている次第である。

2015/03/31


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