川北英隆のブログ

文系学部は不要なのか

文科省は教員養成学部や文系学部・大学院の廃止や社会適用性の高い分野への転換を求めた。これに対して今日の日経26面に滋賀大の佐和氏が反論を書いている。書かれた内容に異論ない。
経済や法律関係は「そんなの関係ない」と高をくくっているかもしれないが、社会思想関係や憲法なんかは危ないかもしれない。国旗掲揚と国歌斉唱を大学に求めるほどだから、国の意向に沿わない思想や憲法解釈が血祭りにあげられる可能性は十分ある。
それはともかく、教育が国の発展のために必要不可欠であることは誰も疑わない。その縮小を目指していいものなのか。文学は経済発展と何の関係もないようにみえて、実は数学と同様、基礎的な学問である。歴史ともなれば、その教養なくして世界のトップと伍していけない。今の日本の政治に必要ないのかもしれないが。
文科省の方向は誤っている。一律に何々の分野が不要というのではなく、大学間の、学生間の実質的な競争を促進し、法科大学院と同様、大学を淘汰すべきである。また、教員が研究か教育に特化できるようにすべきである。そのためには事務の効率化を図るべきである。
大学間の競争に関して、研究や教育の成果を測定すべきだろう。現在でも大学の認証評価があるものの、大学の表面を見ているにすぎない。優れた企業の場合、経営トップが現場の生の声と対話を重視する。文科省のトップも頻繁に大学を訪問すべきである。教育が優秀かどうかは卒業生を観察すればいい。研究が優秀かどうかは研究者の間で評価がある程度定まっている。
学生の競争は簡単である。進級制度、卒業制度をタイトに運営すればいい。そうすれば、優秀な学生が育つ。高校時代までの受験勉強で力尽きないように、入学要件は緩めればいい。進学できない者、卒業できない者が2-3割出たとしても、それが自然である。むしろ誰もが簡単に大学を卒業できることこそ不思議である。
教員に関して、教員を職業として評価した場合、現状では「研究もしくは教育が余程好きでないかぎり、他の職業を探したら」と言っている。いろんな、それこそ雑多な用事が山のように降ってくるから、「やってられない」。無駄な仕事、比較優位でない仕事が多すぎる。要するに、教員が本当に得意とする研究や教育に専念できる体制が不十分である。裏を返すと事務体制が低レベルすぎる。
そんなことも知らずに文科省はいろいろと大学に命じる。先の企業に例えると、現場を知らずに机上で作戦を立てるヘボ経営者としか映らない。
役人も事務も個人個人は優秀なのだから、そして教員も多くは優秀なのだから、その束ね方、進むべき方向の示し方が悪いとしか思えない。

2015/06/22


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