川北英隆のブログ

パンとあこがれと宇津宮雅代

先日、「開運何でも鑑定団」を見ていたら(ずっと見ています)、荻原碌山の作品とかが鑑定に出て、その解説に彫刻「女」が登場した。新宿中村屋の創業者、相馬黒光が影のモデルとも言われる。
今でこそ中村屋は平凡な一食品会社だが、戦前は著名だったようだ。僕が東京に転勤になった時も、今よりは有名だったと思う。その店にボルシチを食べに出かけた。
中村屋を知ったのは、実は浪人時代だった。暇なので(予備校にも行かず、小説三昧の日々だったので)、昼食後に何気なくテレビのチャネルを回すと(まさにカシャカシャ回した)、連続テレビドラマをやっていた。「パンとあこがれ」という題名だった。初回ではなかったが、まだ数回しか進んでいなかったと思う。巡り合わせとはそんなものか。
主人公の女学校時代だった。その主人公が相馬黒光(本名は相馬良、旧姓は星良)であり(ドラマでの名前は異なっていたが)、それを演じていたのが宇津宮雅代だった。最初に見たのは、主人公が女学校の何かに反発し、自主退校するというシーンで、痛快だった。「で、どうなるの」と思い、ほぼ毎日見てしまった。宇津宮雅代が(当時は?)清楚な美人だったせいもあるだろう。珍しく芸能ネタだが。会社に入って数年後、飲み会で思い出してその話をすると、上司が「宇津宮雅代、いいね」と言ったのも覚えている。
「開運何でも鑑定団」を見て中村屋を思い出し、ネットで調べると、相馬黒光のことが詳しく書かれていた。どこまで本当なのかは不明なものの、資料は自伝も含めて豊富にあるようだ。それだけ目立った女性だったのだろう。最初に感じた「痛快」という印象は当たっていた。テレビがそれをうまく描いていたようだ。
「パンとあこがれ」の「パン」は、中村屋のそもそもの事業がパンだったからである。ネット情報によると、京都の老舗のパン屋、進々堂も中村屋と関係があったとも。「あこがれ」は相馬黒光が男勝りのambitious girlとみなされていたからのようだと、僕は推察している。
最後に宇津宮雅代だが、67歳だそうだ。当時は20歳ちょいだったと計算できる。時の流れを感じてしまう。当たり前か。そうそう、昨日の大学関係者の飲み会では「パンとあこがれ」はもちろん、宇津宮雅代の名前も通じなかった。これも当たり前か。

2015/06/25


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