川北英隆のブログ

新宿中村屋

「パンとあこがれ」を思い出したついでに、その舞台である中村屋(通称、新宿中村屋)を書いておきたい。1977年、転勤で東京出稼ぎとなった直後、気になっていた中村屋で食事をした。
何故気になっていたのかというと、「パンとあこがれ」の舞台に文化の香りがしたからである。戦前から戦後にかけての日本人の躍動と反骨も感じられる。
忘れてしまったが、何かの拍子に、「あのテレビドラマに登場した新宿のパン屋は実在していて、創業者はテレビと同じ相馬」と知った。多分、東洋経済の会社四季報をパラパラめくっていて気づいたように思う。ドラマに登場する日本の文化人や海外からの亡命者が仮想のものとは思えなかったから、それがずっと頭の片隅で引っかかっていたのだろう。
謎が解けたときは驚いた。ついでに相馬愛蔵の著書を購入し、確認した(著書は正直なところ、あまり面白くなかったが)。以上は、今ならネット検索で一発に近いが、1970年代はそうはいかない。
そのテレビで、明治から大正にかけての新宿が野っ原同然だったことも知った。少し考えれば、「宿」と付くからには甲州街道の宿場町であり、東海道の品川的な位置付け、東京とは家並みが続いていなかったと理解できる。
中村屋のホームページには創業者と創業以来の出来事がまとめられている。写真が付いているから、当時の様子がよくわかる。創業者が文化人だったため、多くの写真が残されているのだろう。
https://www.nakamuraya.co.jp/pavilion/history/
今の中村屋は1901年に本郷のパン屋(店名は中村屋)を買い取って創業、6年後に新宿に店を出し、その2年後に新宿支店を現在の中村屋の地に移転、本店としている。空襲で店と工場が焼けたものの再興し、1957年に東京証券取引所の上場となった(1939年に株式を公開、1953年に店頭に株式公開とホームページに書かれているが、詳細は手元資料では判明しなかった)。その上場の少し前、1954年に相馬愛蔵、55年に相馬黒光(良)の創業者が死去している。
上場当初の会社四季報(DVD版)が手元にあるので見てみると、当初は社長が不在のようである。1956年9月の筆頭株主は創業者長男の相馬安雄であり、発行済株式の8.3%を保有している。時価総額は約4億円、売上高10億円、利益1億円の会社だった。相馬安雄は1948年から約8年間社長を務めたとホームページに書かれている。上場時には社長でなかったのかもしれない。翌年9月の株主名簿からは安雄の名前がなくなり、相馬和、相馬雄二の名になっている。その後の推移は省く。現在、株主にも役員にも相馬の文字は見られない。社章に2頭の馬、双馬=相馬が残っているだけなのか。
このブログを書くために調べていてたまたまに知ったことだが、中村屋は三鷹に工場と自前の牧場(カリーに使うバタターとヨーグルト用)を持っていた。このことはホームページに書かれているが、会社四季報によるとその場所が「三鷹市大沢851」である。電話も調布局である。僕が東京に転勤になって12年間住んだのが、その大沢だった。三鷹市だが地理的に調布に近い。住んだ当時は「何丁目何番地」に変わっていたから、大沢851がどこなのか、古い地図で調べる必要がある。

2015/06/27


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