川北英隆のブログ

戦争を知らない世代の戦後は

昨日は母親の初盆を執り行った。実家にお坊さんを迎えただけである。今年、戦前生まれの両親がすべてあの世に行き、戦後生まれの兄妹が残された。年月が流れたのだと思うとともに、重荷も消えた。
僕として記憶が鮮明になってくるのは60年位前からか。ぼろい町外れの借家から町中に家移したのもその頃である。10円が札の時代だった。道は地道で、雨上がりの後は泥水遊びができた。郊外にはきれいな水が流れ、メダカやモロコも泳いでいた。セリもタニシも取って食べた。その頃と今とどちらが豊かだったのか、簡単には答えられない。
戦争の体験は間接的に聞いた。(地方単位を主とした軍隊組織だったから)近くに戦友が多かったのと、飲み屋は狭くて高かったからだろう、家で飲み会が頻繁にあった。その度に戦争の話になる。
食べ物の話(何でも食べないと生きていけない、ビルマの奥地では現地で食糧を調達するしかなかった等)はイメージできる類で、人を殺した話や砲弾で負傷した話も出てくる。インパールから逃げる時、たくさんの死体が転がり、まだ生きている日本兵の手足にウジがわき始めていた話も登場した。昼間はイギリス軍の飛行機が飛ぶから、見つかりにくい夜に逃げる話もあった。その体験からか、「夜中に跳ぶ飛行機の音が今も怖い」と語った父親が印象に残っている。
その父はインパール近くのコヒマを攻撃した直後に負傷し、日本軍全体が敗退するほんの少し前に後方に退いたため、命拾いしたとのこと。また、一応将校(中尉だったか、役人の階層で言うと中級職)として戦争に加わっていたから、まだしも待遇も良く、後方に退くときに当番兵が付き添ってくれたらしい。「彼が一緒にいたから助かったんや」といつも感謝していた。
戦争とはそんなものである。同志社大学の時代、1年生に「何故、人を殺したら罪になるのか」を考えてもらった。その議論の中で必ず登場させたのが死刑と戦争である。死刑はともかく、戦争は(勝てばとの条件付きで)合法的な殺人である。チンパンジーの群れ同士の抗争と同じことを人間がやっている。それも、はるかに「近代的に」。
そんな人間の抗争で一番不条理なのは、最高指揮者や取り巻きが安全な場所に陣取って叫んでいることだろう。しかも多くの戦争はその最高指揮者や取り巻きの欲望から発することが多い。人間とは際限ない欲望を持つ生物なのか。戦争だけではない。市場のバブルも、結局は際限ない欲望が支えている。富を仲良くシェアすることができれば、途中で満足できれば、どれだけ人間の社会が楽しいものになるのだろう。
こう書くと、宗教家が登場する。マルクス的な思想も登場する。しかし、うまくいかないのは何故か。宗教が栄え、マルクスを踏襲する社会主義が栄えたものの、やはり最高指揮者や取り巻きの欲望というデジャブに戻ってしまう。この道はいつか来た道である。白秋に失礼かな。
僕は楽観主義的に生きているのだが、それでも人間社会の未来に関しては悲観的にならざるをえない。猿の惑星を見過ぎたのかも。

2015/08/15


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