川北英隆のブログ

東芝に思う上場制度と上場廃止

先日、どのサイトだったか忘れたが、東芝の問題に対する冨山和彦氏のコラムを読んだところ、東芝を上場廃止にするのは無意味だと書いていた。この見解に対しては本当かなと思っている。
冨山氏が再生を担当したカネボウの恨みがあるのだろう。カネボウの上場廃止に関して「上場コストは必要なくなるし・・上場廃止はありがたかった」というのも恨み節か、強がりのような気がする。
それはともあれ、上場廃止になって被害を受けるのは(正確には、踏んだり蹴ったりの状況に遭う、冨山氏の表現では泣きっ面に蜂となるのは)投資家だ、上場廃止になったところで企業側に大きな損失がない、だから上場廃止は愚策だとの見解はよく耳にする。大人の議論かもしれない。しかし本当なのか。
まず、企業にほとんどダメージがないというのは言いすぎだろう。希少性がなくなったとはいえ、上場は企業のステータスである。知名度が上がる。僕が日本生命に勤めた時、親戚から「上場してないの(なーんや)」と言われたものである。上場していれば報酬としてストックオプション制度が取り入れら、従業員や経営者の士気が上がる。資金調達の選択肢も広がる。いろんなメリットがある。
投資家とすれば、上場廃止という罰則があるから、企業にしっかりとしたガバナンス体制を作ってもらわないと困る、投資家としても業績の推移をしっかり分析しようという気になる。そもそも株式とは大損する可能性のある金融商品だから、上場廃止で損をしたとしても仕方ない。どこかで取り戻せばいい。それに不正行為で損失を被ったのなら、経営者を訴えればいい。
同じことは企業の倒産にも言える。
リーマンショックの時、大きすぎるから潰せず、金融システム維持に多額の公的資金が使われた。潰せば迷惑を被るのは利用者、社会だという論理からだった。だから、その轍を二度と踏まないため、金融規制強化が図られている(もっとも今の強化策が正しいのか、ここでは具体的規制に関する方向性の是非は論じない)。
普通の倒産でも、被害者は取引先であり、従業員であり、利用者である。だからといって、「潰さない」との結論はない。むしろ、日本では銀行の力でなるべく潰さないようにしたから、経営の規律が緩んでいる。社債市場の発達もないままである。さらに銀行の体力が落ちてしまった。
東芝の問題に戻ると、もちろん、むやみに上場廃止を提案するものではない。しかし、上場廃止のない、少し譲ってそれに代わるほどの罰則のない上場制度とは何なのか。
タイト・アンド・ルーズ(上場企業のサークルに入るは難しく、入ってしまえば野放し)の制度になってしまう。まるで文系の大学のようなものでしかない。大学ではほとんど学ばず、遊びだけを覚え、むしろ高校時代よりも学力を落としているのに、大卒の社会人として輩出される(本当は排出されると書きたい)。上場廃止を廃するのは、それと同じことではないのか。

2015/11/01


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