川北英隆のブログ

第3の都市モーラミャインとは

国境の町、ミャワディからからモーラミャインへはどうような旅か。これが今回の最大の関心事項だった。ミャワディからすぐ西側は山越えである。カレン族の領域であり、車に通行料を要求していると聞いていた。
しかも、その山越えの道は上りと下り(東行きと西行き)が1日交代だと聞いていた。つまり、一度山を越えれば、帰は必ず翌日になったわけだ。
昨年8月、その山越えにバイパスというか新道が完成した。タイの援助らしい。実際に通ると、山岳道ながら、確かにいい道である。たくさんのトラックともすれ違った。とはいえ、そのバイパスの入口と出口付近には地元民の通行料徴収制度が残っている。
そんな山岳道が終われば、後はタンルウィン川の河口の都市、モーラミャインを目指し、平地を延々と走るだけである。
タンルウィン(サルウィン)川は怒江とも呼ばれ、実のところミャンマー最長の河である。流域面積は平野部を流れるエヤワディ(イラワジ)川のほうが広いはずだが、チベットから流れてくるというロマンはタンルウィン川の方が上だろう。
それはともかく、モーラミャインへの道は長い。昔の地図で見るかぎり(またグーグルアースでも)、ミャワディからのいい道はない。道が整備されていないだけでなく、工事が多く、それも人力勝負である。地道もある。山越えは1時間で終わったのに、そこからモーラミャインには4時間近くかかった。もっとも、早い昼食の時間、同乗者が住む村への寄り道があったのも確かだが。
モーラミャインは河口の都市らしく、多くの川が注ぎ込んでいて、橋が多い。全貌はつかめなかったが大きな田舎町である。父親の戦記を見ると、やはりモーラミャインが登場する。泰緬鉄道の終着から近いため、日本軍も滞在した。
さて、乗り合いタクシーは、そのモーラミャインの南端に着けたらしい。これは後講釈で、瞬間的にどこに着いたのかわからない。「ここはどこや」「この(ガイドブックの)地図で示してや」と聞いても英語がうまく通じない。仕方ないので、「お薦めのゲストハウスに案内してや」と注文した。これが幸いし、1泊2000円程度で、新しく建て増した部屋に泊まれた。とはいえ前払いなので、現地通貨の有り金を工面することになる。
写真はモーラミャインを流れるタンルウィン川である。ゴミが流れていてチベットのロマンはないが、世の中はそんなものだろう。
タンルウィン川.JPG

2016/01/06


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