川北英隆のブログ

経済論叢の記念号が刊行される

京都大学経済学部・研究科の紀要(所属する教員が中心となって論文を書き、掲載する雑誌)の最新号が刊行される。何回か書いたように、退職を記念して研究上、関係の深い6人に寄稿してもらった。3月31日刊行、販売となっている。
経済学研究科の教員が退職する度に「退官記念号」なる特集が組まれる。その時の研究科長の献辞、関係者何人かの論文、退職する教員の略歴と著作等の目録で構成されている。
「退官」という言葉は国立大学が文部省の一組織だった頃の名残である。今は「退職」なのだが、100年を超えた伝統ある紀要として、かつての表現を踏襲している。そもそも、「経済論叢」のうちの「経済」、「記念号」の「号」など、表紙には古い字体も使われている。
では何故、今回の6人だったのか。これまでの僕の関心事項に深く関係していたからである。一見、6人の選択がバラバラのように思えるのではないだろうか。そこで、寄稿してもらった6人について紹介しておきたい。
大野薫「公的年金積立金市場運用の期待値予測に潜む取り返しのつかないリスク:再訪」は、公的年金資金運用への批判を、リアル・オプションの手法で展開している。大野氏とは、彼がゴールドマン・サックスで活躍したいた頃からの付き合いである。オプション理論で著名なフィッシャー・ブラックを研究所に連れて来てもらったこともある。現在の僕が深く関わっている年金の論文だけに、執筆者の50音順とはいえ、トップに掲載できたのは感慨深い。
翁百合「銀行経営を巡る環境変化と業務範囲規制」は、リーマンショック後の規制強化、日本社会の高齢化、金融のIT化を踏まえたうえで、今後の銀行経営を考察している。翁氏とは、僕が金融機関に対する規制と経営に関心を寄せていたことから、学会の特別セッションなどで何回か一緒になった。講演を頼んだこともあった。今回の紀要でも紅一点として強く意識し、執筆を依頼した。快諾いただいたのは嬉しいかぎりである。
金城亜紀「第十九銀行の製糸金融における倉庫の役割」は、題名からすると古めかしく、訓詁学的な論文だと思ってしまうが、実はそうではない。新しい金融を探っていくうちに、「昔の日本の銀行業が意外にも先端的だった」との発見である。金融とは何で、どういう視点や技術が必要なのか。これが金城氏の発想である。そもそも、紀要に英語で書きたかったらしいが、英語は掲載しないとの編集方針があったため、諦めてもらった。
高橋智彦「ハンガリーにおける「成長のための資金計画」(FGS)について」は、高橋氏のライフワークになりつつある東欧の金融シリーズである。高橋氏とは元の会社で一緒に働き、また科研費の申請でも共同研究者として名前を連ねている。リーマンショック後、ヨーロッパの端、東欧は大きな波に晒されている。難民問題についても、防波堤の役割を押し付けられようとしている。そんな東欧の金融に関する分析の一端である。
高橋正彦「金融論と民法学の接点?証券化と債権譲渡ファイナンスをめぐって?」は、高橋氏の名著「証券化の法と経済学」の延長線上に位置しており、先端的な論文となっている。証券化は僕にとっての関心事項の一つではあるものの、法的視点からのアプローチは門外漢に近い。それだけに、不足分を補ってもらうべく、京都大学経営管理大学院で証券化の講義を依頼している。同時に、今回の紀要に論文の執筆をお願いした。
柳良平「コーポレートガバナンス・コードに係る投資家サーベイとエンゲージメント・アジェンダに係る一考察?エクイティ・スプレッドと非財務資本の同期化?」は、柳氏がCFOとして活躍する企業(エーザイ)の視点から、上場企業経営と投資家との関係を探ったものである。柳氏は金融機関に所属していたこともあり、その時に獲得した知見や人脈を活用して、企業と投資家の関係のアンケート調査と分析を行っている。その調査の一端を紹介できることは意義深い。
以上、振り返ってみて、株式に関する論文がないことに気づいた。あえて言えば柳氏の論文か。自分自身で書くしかなかったのかもしれない。が、本人が記念号に論文を書くことは「よろしくない」と思い、書かなかった。

2016/03/27


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