川北英隆のブログ

東京での高校同窓会とその帰り

昨日の土曜日、高校の東京地区での同窓会だった。僕の高校の場合、男女比率が半々だったこともあるのだろう、関西地区に住んでいる割合が高い。同窓会の出席者数は、おおよそ東京で20名、奈良で40名というところか。
しかも昨日は関西からの出席者が僕を含めて7名いた。純粋の東京は15名前後である。
東京地区の同窓会に出席したのは30年ぶりかもしれない。当時はアルコールが飛ぶように減っていった記憶がある。そのため翌日、「もう堪忍や」と思ったりした。しかし、年月が経つと、出されたアルコールはかなり余っていたし、僕もその日に帰る予定だったため、じっとにらめっこの我慢だった。
全員が同時に同じ年齢を迎えた会合というのも便利である。普通なら、知らない相手の、もしくはしばらくぶりの相手の年齢を推測し思い出しながら喋らないといけないのだが、同窓会ではそんな無駄は必要ない。まだ仕事をしているのがいるのやとか、給与を大幅にカットされたのやなとか、両親の介護が大変やなとか、素直に話が理解できる。
東京駅への帰り、15年ぶりくらいに会った医者の友達が、まだ仕事をしている機関の関係でタクシー券を持っているのか、ハイヤー代わりにタクシーを使っているのかはともかく、新幹線口まで送ってもらった。持つべきものは友達、予定よりも早い新幹線に予約を変更して京都まで帰った。
もっとも、乗り過ごしてはいけないので、時計のアラームをセットしておいた。と、名古屋を過ぎた直後、前の座席の50手前くらいの兄ちゃんが車掌を呼び止めた。米原まで行く予定なのに、名古屋で降り損ねたようだった。
自分の行動でさえ信じきってはいけない。というのも、その前日、背広の内ポケットに紙らしきものが入っているのに気づいた。この年齢になって付文を入れられたわけもないしと思い、ポケットからその紙を出してみると、何と福沢諭吉と樋口一葉が登場した。金持ちになった喜びとともに、そんなこんなで許してもいないのに、その彼や彼女と別れてしまったこともあるのではと、自己不信に陥ってしまう。
年齢を重ねるってそんなもの、同窓会のわずかな時間に同じ話を繰り返すのもいたことだし、注意が必要である。

2016/04/24


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