川北英隆のブログ

「京都大学で学ぶ」の出版記念会

今日、東京で「京都大学で学ぶ企業経営と株式投資」の出版記念パーティーがあった。関係者(農林中金バリューインベストメンツへの投資家)を含め、出席者するとの返事を100名程度もらっていた。
会場は出版社である金融財政事情研究会の会議室を借りた。あまり予定していなかったのだが、農林中金バリューインベストメンツの前の社長であり、日本というか世界最大の投資家トップの出席も賜った。是外とも、その投資家が良い方向に向かうように応援したいと思ってしまう。
僕は大学側として基調講演した。その後に長期投資家2人を交えたパネルに参加した。2人の発言を聞いて思ったことはいくつかある。
1つは、投資家が企業と対話するにはエネルギー、コスト、時間がかかるのは当然であり、当事者である投資家もしくは企業側の工夫が必須だとの思いである。スチュワードシップ・コードの達成は並大抵でない。現実はといえば、今でも多くの投資家はアホで、表面的に役所から示されたコードを「ほぼ遵守するだけで十分」と思っているか、そもそもスチュワードシップ本来の発想さえいまだにないらしい。「守ってまーす」と、一般受けだけを狙う情けない状態になっている。
2つに、日本企業がどこまで本物になるかである。サラリーマンの会社ではダメだろう。とはいえ、日本の多くの企業はサラリーマンが牛耳っている。社内政治は上手である。しかし、ほぼ社内全体に、とくに上司にやさしく、すぐに現状と適合してしまう行動は、良く言えばお人良しかなと思う。世界を見渡せば、そんなので競争に勝てるはずがない。
もちろん、従業員全体が差別なく処遇されるのは理想である。問題は、社内で理想を達成しようとしても、その企業が世界的な競争に巻き込まれ、そのことで潰れないかどうかが本当は問われている。特定企業という船内で従業員の幸せ実現を祝ってパーティーしていたところ、その船が沈んだらどうするんやと、本気で心配してしまうのである。
3つに、いくらガバナンスを充実したところで、それは経営にとって本質的でない、いわばブレーキやナビ下―ションへの投資に過ぎなくて、エンジンがどうなっているのかが日本企業の一番の問題だと思ってしまった。この点はパネルである程度発言した。経営者がサラリーマンでしかなく、鈍く、トロトロしか走れない車なら、その状況ではブレーキもナビもどうでもいい。むしろ、それらに大量のゼニを注ぎ込んでも、えらく無駄な投資にしかならない。
日本企業には、どうでもいい部品に力を入れ過ぎていないかどうかが問われている。その日本企業の行動を投資家が注意深く見守り、企業と議論してこそ、理想に一歩近づいた株式市場が形成される。では現実がどうかというと、企業もそうだが、投資家にも目的が何で、それを目指す本物がどうなのかを見抜く能力が不足している。この能力不足が深刻過ぎると思っている。

2016/04/27


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