川北英隆のブログ

季節は梅雨間近なのに水無月に

今日から6月、いよいよ雨の季節が近い。明日、講義をセッティングしているので、夕方、新幹線で京都に戻った。良い季節である。名古屋を過ぎると、北に御嶽山がくっきり見えた。頂上に雪が残っているのだろう、夕日に輝いていた。
大垣付近から滋賀にかけて、麦畑が多い。ちょうど刈り入れが進んでいる。そんな麦畑を見ると、子供の頃、奈良でも一面に作付されていたのを思い出す。刈り入れの頃の光景というよりは、4月から5月にかけて、青々とした麦畑の光景が浮かんでくる。当時、青い畑に茶色いヒバリが何度も舞い上がっていた。そのせいか、ヒバリを歌った歌(ひばりが歌う歌ではない)が好きである。
麦畑の横では、田植の済んだ水田が広がっている。早く植えられた水田は、大分苗が育ってきている。一方で、ほとんど水しか見えない水田もある。そんな水田を見ると、やはり子供の頃、カエルの卵を採集したことを思い出す。水田にあった寒天質の塊をバケツに入れて家に持って帰った。しばらくするとオタマジャクシが生まれてくる。
それから後、どうしたのかは忘れたが(はっきりとは思い出せないが)、多分水田に返しに行ったか、近くの水路に流したのか、どちらかだろう。1度だけ、小学校の1年か2年のときにやったきりで、2度とやろうとは思わなかった。少し気持ち悪かったのかもしれない。
そうそう、水無月について。京都では水無月というお菓子(和菓子)を食べる。月としての水無月は、辞書によると「田に水を注ぎ入れる月の意味」とある。水の月なのだろう。お菓子の水無月は、そんな水田作業の後に食べるのにぴったしのように思うものの、昔の農家がそんな贅沢なお菓子を食べられたとは到底思えない。貴族が(厄払いと称しながら)季節を愛でつつ食べたのだろう。

2016/06/01


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