川北英隆のブログ

一生勉強ではなく自分で考える

誰が音頭を取ったのか知らないが、生涯学習という言葉が独り歩きしている。もちろん、いつまでも勉強は必要である。しかし、より重要なのは、勉強とはあくまでも手段だと割り切ることである。
大学での教育とはどんなものか。経験者が多いから説明しないが、高校までとは大きな断絶がある。自分で講義やゼミを選択しないといけない。この前提は、大学生には(研究か就職かは別にして)何らかの目標があるというものだろう。
でも、誰もこの前提を教えてくれないから、「決まった授業がないということは、勝手に遊んでもええんや」と思ってしまう。僕らが大学生の頃は、それでも学生運動が盛んだったから、何かしら社会と向き合うことにならざるをえなかった。今はというと、スマホゲームに向き合うだけか。「アホになるだけやった」と気づくのは少し先なのだが、それさえ気づかないのでは世も末だろう。
それもあっての生涯学習なのだろうが、気をつけないといけないのは、学習には個性がない、ロボットと一緒という事実である。人間がロボットでないためには、自分で考え、行動しないといけない。大学の4年間は、本当は自分で考えることから始まる。社会人になった後の目標が当面決まらなかったとしても、暫定的に決めないといけない。その目標が変わるのであれば、変わってもいいように幅広く設定しないといけない。この「幅広く設定する」ことに「考える」との行動が求められる。
以前に書いたかもしれないが、ゼミで研究をさせると、「何をテーマにしたらええんですか」と質問を受けることが多い。「何でもええんやで」と答えることにしている。心は、自分でやりたいことを考えるのが重要ということでしかない。
かつて、スマホゲームをテーマに設定した学生がいた。「何、それ」と思うかもしれないが、その論文の出来は良かった。自分でテーマを設定し、体験し、論理的に考察し、文章にまとめてあり、かつ経済理論にも関連づけられていた。
そういうものである。大学生も社会人も、その真価は自分で考えて頑張ることでしかない。定職がなく、自由に生活している僕にとって、以上がアドバイスである。

2016/07/15


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