川北英隆のブログ

大唐西域記に目を通し始める

昔(いつかは忘れたが、印刷された年月からすると会社に入った後)、中国古典文学体系「大唐西域記」(平凡社)を買っていた。それをいつか読もうと思っていたところ、ようやくその気になり、開いている。
「大唐西域記」は周知のとおりの中国の古典、唐の僧、玄奘が印度に旅した記録である。帰国した後に書いたものであるが、旅の途次にメモしていたのだろう。もしもすべて記憶していたのだとすると、すごいと思ってしまうから。この点、訳者の後書きには(ざっと読んだだけだが)何も書いてなさそうである。
本文を最初から読み始めているが、決して面白いものではない。文学ではなく、そもそもは地誌に近いのだが、登場する地名がよく分からない。原書ではなく、訳書だから注が付いているものの、当時の地名が今のどこに相当するのか、今では不明な箇所も多いとのことである(楼蘭でさえ砂漠化で消えたくらいだから当然だろう)。しかも、注の地名が今のどこに相当するのかさえ、詳しい地図がないから特定できない。このことから、面白さが半減している。
とはいえ、「大唐西域記」には通り過ぎた土地での言い伝えが挿入されている。その話を読むと、西遊記が依拠した話もありそうである。この挿話を楽しみに読み進めるしかないだろう。
一方で思うのは、目が衰えてしまったため、細かな文字を長時間追えなくなっている寂しさである。もっと早く読む時間を見つけるべきだったと後悔する。
とはいえ、もう少し時間が経つと本の紙が黄ばんでしまうから、文字とのコントラストが落ち、ますます読むのが困難になるだろう。そこで、今が最後のチャンスかと気を取り直しているのだが。アマゾンが電子化してくれるとキンドルで読めるのにと、ほんの少し期待もするが、多分無理だろうし。

2016/12/04


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