川北英隆のブログ

整合性ある政策への要請-1

先日、有識者の間で笑っていたのが「残業時間の報告制度」である。今日もまた笑えたのが裁判員制度の不人気である。役所として、自分たちの組織の存続を最大の目標として活動するから、お笑いになる。
端的に言えば、出てきた問題点に場当たり的に対応しようとする。だから、他の政策と合わせてみれば、お笑いでしかない。ボス(大臣や総理大臣)に怒られないことを最初に考えるから、全体がおかしくなる。
たとえば、働き方改革をどうするのか。簡単である。空気を読み過ぎることを止める、役所お勧めの流行の言葉で表現すると、周りを忖度し過ぎことを止めるだけでいい。
働く側からすれば、自分の仕事に自信を持てばいい。自信とは、給与(賃金だけでなく間接的なコストを含めた企業側の負担額)以上に働いているとの自負である。その自信があれば、堂々と上司よりも早く帰ったところで、何の文句も出ない。
自信がないから、また、だらだらと仕事をしているだけとの後ろめたさがあるから、付き合い残業するのだろう。自信があるのに帰らせてもらえないのなら、それは訴えればいい。転職も十分に可能だろう。
このような職場環境を作るには、労働市場の流動性を高めることに尽きる。働いている者が何を特技とし、売りにしているのか、その公的な登録制度を作ることである。名前や勤務先企業を伏せたまま、外部から登録内容の検索を可能とすればいい。求人側に興味があれば、公的機関の仲介、直接交渉と順を追って需給の調整を行う。これまでのように、失業者の再雇用の斡旋を行うだけが役所の能ではないだろう。
裁判員制度の意味がわからない。裁判員に選ばれても、現在は65%程度が最初の段階で辞退するらしい。最高裁の資料を読んでいないので理解不足かも知れないが(読もうという気が起きないが)、残り35%のうち選任手続きへの出席率は84%とか。この理解が正しければ、選ばれたうちの30%程度しか裁判員として残らない計算になる。
この資料はともかく、老人も女性も皆働けと言いつつ、片方で裁判員として招集する意味は何か。政府として、やってることがバラバラだとしか思えない。

2017/05/21


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