川北英隆のブログ

郡山の九条から西ノ京へ

和菓子屋2軒に寄った後、堺町を北に歩き、九条に向った。堺町は、昔の城下町の名残が一番残っているのではないかと思う。とはいえ、その通りの一部だけだし、もう数年経つとどうなるのか怪しげだった(旧家は空き家のような感じがしたので)。
実は、郡山市内から西ノ京が近い。十分に歩ける距離である。数回歩いたこともある。ついでに、九条の手前にある最初の(生まれてすぐの)実家付近がどうなっているのか確認したかった。電車から、九条と近鉄郡山の間の風景を見るかぎり、すっかり変わったと思えるのだが。
その実家の手前、南側には小さな川があった。それが無くなっていた。友達が何人かいたのだが、表札を見るかぎり、何も残っていない。かつての実家への道はメインの(と言う程ではない程度の)通りから西へ折れるのだが、堺町を過ぎてあまりにも近距離だったので、つい曲がり損ね、行き過ぎた。
かつての実家の前を通ると、向かいの田んぼがすべて住宅に変わっていた。当時はタニシがいて、それを取って晩のおかずにした。セリも生えていた。しかも、田んぼの中にこんもりとした林があり、甘茶をかけたお寺だかがあった。その林の一角が残っているのは確認したのだが、どう近寄っていいのかわからなかった。仕方ないので、次の機会に回した。
その実家の近くに植槻神社がある。その昔、植槻村というのが独立してあり、その村社だったらしいのだが、お城のすぐ近くでもあり、平城京の南端でもあり、由緒有りげな神社である。
幼稚園未満の子供の足では、かつての実家からは少し遠い。ということで初めて(だろうと思う)、境内に入った。巫女さん(少し年かさがいっている)がいて、挨拶をされた。神社について、帰ってからネットで調べた。不明である。機会を作り、家にある神社の資料で調べてみようと思う。
そんなこんなで、九条の駅前、東側を通った。駅を過ぎ、線路を西側に渡り、そのまま線路沿いに進むと、10分程度だろうか、西ノ京の駅に着く。知らなかったのだが、改札は地下(線路の下)にある。観光地になって近代化したものだと思った。

2017/05/07


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