川北英隆のブログ

日本の大企業病に思う

先日、東京は三田界隈を歩いていると、日本電気(NEC)の本社ビルの前を通った。えらく立派だった。以前、株主だったこともあり(結局は損をしたように思うが)、「こんなとこにNECが」と思うとともに、その業績が凋落した理由に思いをはせた。
(言い過ぎかもしれないが)凋落した理由の1つは明白である。NECは電電公社ご用達の企業として、大きな参入障壁を築いていたのだが、その壁が崩れたことを指摘できる。NECにかぎらずどの企業もそうだが、国をはじめとした公的な需要者にべったりというのは、企業経営を歪めてしまう。進化する意欲、需要を幅広く感知するセンスがなくなるのだろう。
同じことだろうが、組織が官僚化したと思う。電電公社という公的機関に依存するから、その得意先に対して小さな粗相さえ許されなくなる。これが経営の重点事項である。結局、多少野卑でもバイタリティーのある人材が排除され、お公家さんのような人材が出世する。これでは世の中の大きな変化に対応できない。
通産省(今の経済産業省)に2年間、若かった頃の僕は出向していた。当時、コンピューターやデータベースを使った解析と、そのための端末は貴重だった。それらを自由に使い、好き勝手に分析ロジックを試せたのは貴重だった。そんな幸せの中、不思議だったのは、それらの機器類が日本製だったことである。
日本企業としては、海外との性能の比較なしに使ってもらえたわけだから、感謝感激だったに違いない。将来も使ってもらうために、官僚に対して疑似官僚としての接待を大いにしたに違いない。当時、官僚への接待に関する規制がないに等しかったから。
思い出すと、大手建設会社に就職した知り合いが、盆暮れの得意先への付け届けが2桁万円だと自慢していた。バブルの頃だったと思うが、当時でも「ひぇー」だった。そういう時代があったということである。ひょっとして、今もあるのかな。
現在の日本の大企業はそのような環境の中で育った。実力で世界と競争しようという気力がないどころか、意識すらないのは、この環境が今でも祟っているからではないか。最近のいろんなニュースを見る度に、そう思ってしまう。
通信とパソコンで一世を風靡したNEC、今はどこにいるのやら。吉本新喜劇風に、「三田や」ということなのか。ともあれ、少なくとも世界の中心にいないのは確かである。

2017/12/12


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