川北英隆のブログ

日本の大企業病に思う2

一昨日の続きで思ったことがある。きっかけは、ブログの読者からもらった感想である。それを読み、「書き忘れていたこと」を思い出した。肝心の金融業界が抜け落ちていた。
規制による参入障壁の最たるものが銀行、証券、生損保だった。今でも規制が続いている。フィンテックへの対応の遅れも規制の影響だろう。金融が斜陽になるとは思っていないが、既存の業界が斜陽になる可能性は否定できない。
規制による参入障壁もそうだし、独自のビジネスモデルもそうだが、一度成功すると、そこから離れることが困難になる。成功体験から離れることは、過去の自分を否定することになると、多分思えるのだろう。
長らく成長を続けている企業は、そんな自己否定をいとわないのだが。たとえれば、再婚、再々婚のようなものだろうか。何て。再婚できないのは、過去が余程幸せだったにすぎないのかも。
それはともかく、通信や製造業との比較で、金融業界はまだまだ幸せである。近未来のフィンテックはともかく、現在まで大きな技術的な革新がなかった。グローバル化の流れがあったものの、自国市場が荒らされる現象ではない。認可要件、規模の利益などが大きな参入障壁になっているのだろう。
とはいえ金融業界に、それも日本銀行を含め、自らの業務を大変革しようとの意欲に乏しいのも確かである。だから日本の場合、他国との距離が広がりつつある。
ビットコインなどの仮想通貨が象徴的だろうか。金融業界がどう対処するのか、その方向性がつかめない。そもそも、日銀と銀行によって形成されている決済機能、つまり資金のやり取りをどのように発展させるのかについても、今のところ何も見えない。そんなことでいいのかと問われても、誰が決済の全貌を把握しているのだろうか。
かつて証取審(現在の金融審議会に統合)で、株式売買委託手数料の自由化や、板情報(証券取引所における売買注文の状況)の開示を主張したことがある。(今では証取審の状況を知っているものが少ないものの)証券業界には恨まれているとは思うが、僕としてはきわめて良心的に発言し、その後の証券業界の質的な発展に(世界的な証券市場の革新の流れの乗ることに)寄与したと思っている。
いずれにせよ(話がどんどん広がるので幕を引きたいのだが)、日本も、アメリカのワシントンのように政治を隔離すべきかもしれない。京都企業のかなりの数の企業が尖っているのは、中央政府との関わりが少なかったことにも背景がある。少なくとも日本のようにお上崇拝意識の強い国にとって、政治を地理的に分離することが重要だろう。

2017/12/15


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