川北英隆のブログ

人生100年時代の罠

人生100年時代という造語というかアジテーションというか、わけの分からない言葉を最近よく見聞きする。政府が人生100年時代構想会議を設置したかららしい。「100年なんて嘘やろ」、それとも「何か罠がある」としか思えない。
事実は、もう少し先の時代ならともかく、この時代に「健康で100歳まで生きられる者」が国民の何割、いや何%いるのかと思う。
僕は1950年生まれ、同世代としては「表面的に」(何が潜んでいるかわからないので「」付きで)元気な方だと思うが、それでもぼちぼち限界かなと思うことがいくつもある。そもそも酒量も減ったし(弱くなっただけかな)、食べる量も減ったし(?)、山で歩ける距離も減った(そらそうや)。目も疲れやすくなった。
同窓会で同級生を見ていると、出席者は元気だから参加していると思うのだが、それでも「どうかな」という者の割合が増えている。70歳を超えてくれば(もうそこにきてる)、ますます問題が生じるだろう。
医学が進歩したとしても、「80歳を超えても健康で、いろいろ動けて暮らせるようにケアしてもらう」には大金が必要だろう。国民の何%がその金持ちの域に達するのだろうか。健康保険で賄ってもらうには、ますます高い保険料を払わないといけない。
団塊の世代前後は、ある意味で清貧な生活を免れ、豊かさに浸かるようになった。今の世代はぬるま湯の中で成長している。それでも大きな病気にもならずに生きているのは、医療が整っているからだろう。本当のところはどこまで健康なのか。
団塊の世代が80歳代になる頃、老齢層の各年齢の死亡率が今よりも上昇し、日本の平均寿命の上昇がピークアウトする可能性だってあると思っている。その頃、日本の国力が高く、財政が豊かであれば、高度な医療が施され、死亡率の上昇を抑制することが可能かもしれない。しかし、いろいろと動けて健康に生活できているかどうかは怪しいものだ。
人生100年時代構想とは、「70歳で楽をしようなんてとんでもない、もっと働かないと生きていけないやろ」との政府からの脅し文句なのだろう。現実にも、公的年金の支給開始年齢を70歳に引き上げればどうかとの議論が始まっている。そうなれば、半ば強制的に労働に従事させられる。徴兵制ならぬ国民徴役制(懲役制でもないが、文字どおり、それに「心なしか」近い)とも言えるのではないか。
もちろん、働きたいのなら適当に働くのがいい。働くことでボケも予防できる。しかし、人生、健康なのはせいぜい70歳代までと思う者にとって、70歳で公的年金がもらえたとしても、残り10年あるかないかである。
50年間近く働き、わずか10年間の自由時間とは。僕だったら寂しいと思う。
この国民徴役制が嫌なら、若い頃にもっと真剣に働かないといけないし、お金もちゃんと貯め、増やさないといけない。政府としても、人生100年時代と叫ぶ前に、経営者から爺さん(残念ながら婆さんは皆無に近いが)を追い出し、若者のセンスあふれる企業を作り、国民が真の豊かさを求めて働ける環境を整えること、これが最初の課題だろう。
はっきり書いておく。働ける老人の中で、考え方やセンスがまともな者は、僕の経験上(当然、今の僕ではなく、若い頃の経験でだが)、きわめて少数である。ほとんどは、やはり年寄り臭く、古くさく、どこか的外れで、それでいて出しゃばるってくるので、社会の足手まといに近い。
僕を含め、多くの老人やその候補生として、足手まといになりうるとの自覚を持ち、無理して働かず、家でのんびり暮らすか、自然や公園の中を散歩するのが公私ともに一番だと思っている。

2018/02/02


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