川北英隆のブログ

信じられない投資信託制度

先日、市場関係者と話していたら非常に奇妙なことを聞いた。公募型の投資信託(つまり一般個人が目にする投資信託)に競争原理が取り入れられていない。このため運用業者は競争して真面目に運用しているふりをすればいい。そんな制度がまだ続いているらしい。
投資信託を買う者、多くは個人投資家にとっての理想は、運用業者(アセットマネジメント会社)が額に汗し、時には腕や足に傷を負って血を流し、少しでもリスクを軽減しつつリターンを高めようと(パフォーマンスを高めようと)努力してくれることである。
でも、運用業者も人の子である。彼/彼女らにそんな努力をしてもらうには、それなりのインセンティブが必要になる。言い換えれば、投資家だけでなく、運用業者も儲かる仕組みを考えないといけない。
その仕組みの1つが、運用業者に対する成功報酬である。基本的な報酬を比較的低い水準に留めておき、たとえば年間を通じた運用パフォーマンスが高かった時だけ、その水準に応じて追加的に報酬を支払う方式である。もちろん、パフォーマンスが悪ければ何も払わなくていい。
この成功報酬体系が日本の一般の投資信託では作れないらしい。私募の(つまりお金持ちだけの)投資信託では可能なのだが、公募では制度の制約が強すぎるとのこと。現時点で作れるのは、まがい物の成功報酬体系だけらしい。
運用業者が「どうせ自分の資金でないから」といい加減な運用をしていた時代の遺物であり、その時代の生きた化石といったところか。「今度、知り合いの偉いさんに会ったら言っておかないと」と思った。
もう1つ、運用業者が必死に努力している証拠を見せるのも難しいらしい。欧米での常識は、投資家から預かったファンドに自分の資金も追加し、運用することである。自分の資金を同じ船に乗せているから必死になって運用しているはず、そう信じてもらえる。この自己資金の投資が例外的にしか日本では認められないとか。
何故、自己資金投資を認めない制度が日本でまかり通るのか。自己資金を投資していたのなら、運用に失敗したとき、運用業者も損失を被り、潰れる可能性があるからだろう。つまり、運用業者の保護が行政の念頭にある。
念のために言えば、投資信託は名前のとおり、その運用財産を信託し、運用業者の財産と切り離している。このため、たとえ運用業者が潰れても、資金を預けた投資家の財産にまだ倒産の影響が及ばない。
以上のように、行政が旧態依然としていて投資家の利益第一でないのなら、日本の投資信託の未来は暗いなと思う。そもそも行政が市場や商品の実態を知らないだけなのかもしれないが、そうであればますます恐ろしいことだ。

2018/02/27


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