川北英隆のブログ

友人とバブル期以来の再会

古い友人からメールが来た。数年前の年賀状に、「いずれ京都に住みたい」と書いてあった。今回のメールはその続きみたいなもので、「京都市内に住んだので」とあった。
それで昨日会うことになった。場所は近くの料理屋だった。
誰かというと、通産省に出向していたとき、隣に座っていたというか、同時に新入りとして赴任してきたHR君である。技官として通産省に採用されたと自己紹介していた。年齢的には僕よりも1つ下である。
身体を動かすのが好きなのだろう。当時のMT課長の趣味だった山登りに、もう一人の僕の友人KT氏と一緒に世話役として参加していた。多分、僕を含めた3人が、回数的に(ということは実質的に)一番よく課長の山行に付き合ったのではないかと思う。
通産省への出向は2年間で終わったが、その後もしばらくHR君と会っていた。最後に会ったのは1988年の晩秋だと、当日の話の中で判明した。アメリカ市場の視察旅行があったついでに、当時ワシントンに駐在していたHR君訪ねた。エチオピア料理を食べに行き、現地のビールを飲んだ思い出がある。
その後、HR君は原子力関係の(今となってはとんでもない)部署に配属となった。数年前役所の定年を迎えるまで、同じ部署で勤務していたとか。ここでは書かないが、いろいろと大変なことがあったらしい。
仕事上の関係が皆無に近くなったので、この30年間会う機会がなかった。HR君が山登りから離れたことも、会う機会がなくなった理由だと思う。
そんな状況だったが、昨日はほぼ瞬間的に顔が分かった。
僕が店に着いたのは開店の10分近く前だった。店は厳格で、予約してあるのに入れてくれなかった。「不親切やな、商売っ気もないし」と思い、近くを散策することにした。
ぐるっと街を一周して店の前に戻ると、反対側から髪の相当白い人物が歩いてきた。「HR君か」と思い、注意深く眺めたところ、向こうもこちらを見ている。「やっぱり」とお互いに近寄り、30年ぶりの挨拶をした次第である。
店に入り、30年間の歴史を語り合った。店に対する不満も消えていた。入れてくれなかったから、店の前で「忘れていなかった証明」ができたようなものだ。劇的とは言わないまでも、印象に残る再会の瞬間を作ってくれた店に、ある意味で感謝している。

2018/05/18


トップへ戻る