川北英隆のブログ

関西電力と黒部と電力株投資

先日、関西電力の案内で、宇奈月から黒部ダムを経由し、長野の大町まで抜けた。宇奈月から欅平までと、黒部ダムから扇沢経由大町までは一般の観光ルートである。真ん中、欅平から黒部ダムまでは関電の専用ルートである。京都の「エネルギー懇話会」が主催だった。
電力会社に勤務していた友人(同級生)が複数いる。今もそうだが、僕らが社会人になった頃も、発電所の建設は大変だった。電力会社の労力の相当部分は発電所の立地にあったときいている。それとともに、かつては電力料金の改定も大変だったようだ。
その立地問題を緩和する一環として、関電が「エネルギー懇話会」なるものがーを設置したかと推察している。京都において「エネルギー懇話会」が設置されてから、説明を受けて忘れたが、50年程度経つとうろ覚えしている。
今はどうか知らないが、少し前まで電力会社は人気の就職先だった。株式投資でもコアとなる企業群だった。父親も投資していた。僕が以前に勤務していた会社も大株主だったし、(僕は積極的に旗を振らなかったが)配当利回り狙いで電力株に投資するのがいいとの考え方も根強かった。
高度成長期に電力会社に投資することは正しかった。経済の発展とともに電力会社も発展した。配当も安定していた。というか当時の株式に設けられていた額面の10%を、電力会社はほぼ安定的に配当していた。その配当ができるように役所(通産省)が電力料金を認可していた。資金調達のための額面増資も定期的にあり、時々あった無償割当増資を含めると、電力株への投資は報われた。
では、高度成長が終わればどうなったのか。この質問は、日本経済、それも国内に投資することがどうなのかという質問と等しい。パフォーマンスが落ちるのは当然だろう。原発の事故までは安定的な配当があり、まあまあだったかもしれない。しかし、株式特有のリスクを埋め合わせ、その上で余りある配当が期待できたのかどうかである。
そんな懐かしい電力会社の話を聞き、かつ施設を見学できるのは歓迎だった。それとともに、黒部ダムには観光で行ったし、山登りのついでに立ち寄ったことも(多分だが)あるとの記憶が甦った。後者について、赤牛岳を越えて黒部湖に下り、船を使ってダムサイトに出たはずである。
当日、その赤牛岳をダムサイトから見て懐かしかった。写真をアップしておく。名前のとおり、赤い色をした大きな山である。
20180728黒部ダムからの赤牛岳.JPG

2018/07/28


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