川北英隆のブログ

元学生らとちびまる子ちゃん

学生と飲み会をした。中央大学国際会計研究科(僕が会計を教えていたわけでない)時代の学生(といっても社会人が多かった)である。適度に飲んで帰ってからネットを開くと、「ちびまる子ちゃんのさくらももこ死去」のニュースが飛び込んできた。
まずは「ちびまる子ちゃん」。1990年にアニメ化とある。そんなに遅かったのかと思う。というのも、(僕が)三鷹に住んでいた時代(89年2月まで)、アニメを見て「面白い」と思ったように記憶していたから。多分記憶違いなのだろう。
さくらももこは1965年生まれとあるから、アニメ化されたのは彼女が25歳のときである。それから28年の年月が流れた。恐るべきことだ。
そんな「ちびまる子ちゃん」、最初の頃は毎回と言っていいほど面白かった。今はあまり見ていない。
故郷の清水市も、今では静岡市に吸収されてしまい、静岡市清水区である。清水次郎長が静岡次郎長に改名したようなもので、「ちびまる子ちゃん」はどう思っているのだろうか。
中央大学国際会計研究科、僕が(1年半ほど、専任としては1年)勤務した当時、キャンパスは市ヶ谷の自衛隊の横というか、(物理的に)下にあった。昔は水が流れ落ちて堀となる、その入口だったのだろう。
地名として「合羽橋」が残っている。ぐじゅぐじゅした、気味の悪い湿地だった可能性がある。同じような谷状の地形、信濃町近くの南元町付近では、地面を掘って基礎工事をすると人骨がたくさん出てきたと聞いたことがある。
その最初の大学勤務から15年が経過した。当時の学生と半年に一回くらい飲み会をしている。毎回幹事をしてくれているのが某大手商社勤務のAD氏である。
今回もいつもと同じようにあれこれ話をしていると、AD氏から「もうじき定年だから」と聞こえてきた。「うそっ」というような返事をしたと思う。と、「そういう川北さんは何歳になったのか」というようなカウンターを食らってしまったが。
「当時は50歳代の前半か」という自滅パンチを自分に放ってしまい、口には出さなかったが「当然AD氏はたかだか40歳ちょいだったよね」である。聞くと、AD氏は60歳までにもう少し時間があるらしい。この関連の話をしていると、もう一人、AD氏と仲のいいFM氏(某合成ゴム会社)も定年が近いらしい。元学生、そういう年齢に到達したのだと思う。
言い訳ではないが、この定例の飲み会、老人会にはならない。というのも、当時、20歳代だったのも多いから。
そういう若手に頑張ってもらい、何年かの後の飲み会では、「年寄りは半額」と言ってほしいものだ。それとも逆に、「結局のところ年金は僕たちが負担しているわけだから、年寄りの恩返しで倍払ってほしい」と言われるかも。

2018/08/28


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