川北英隆のブログ

障子の命は短くて

わが家には障子がある。正確には障子も襖もある。1室だけ和室になっているから。その障子がボロボロになった。南向きなので強い紫外線が当たり、紙が弱ったためである。
先日の台風の時、障子に強い風が当たり(風の比較的弱い北側の窓を鎧戸にして開けていたこともあり)、大きく破れてしまった。「こりゃ(ほんまに)あかん」というので、カミさんが専門業者に張り直しを依頼した。
京都のいいとこは、町屋や寺院が多く、障子や襖をたくさん使っているので、業者が成り立っていることだろう。そんな家の造りにしなければ京都に住まなくても何の問題ないのだろうが、日本人にとって和室が落ち着くのも確かだと思っている。
子供の頃、洋室なんて少なく、障子や襖がやたらとあった。襖はともかく、障子は1年か2年に一回、母親と父親とで張り替えていた。子供も手伝うのだが、その日ばかりは思いっ切り障子紙を破るだけだった。
飼っていた猫も、最初の頃の一匹だが、障子の一番下を破って部屋に入るのが大好きだった。最初は「何すんのや」と叱ったのだが、障子紙を破って入られてしまうと、後はどうでもよくなる。猫も心得たもので、一度破ったとこ以外を通路として使わなかった。
今は自分で障子を張り替える技術もないし、やろうとも思わない。今回の障子屋さん、「10年は大丈夫です」と言ったらしい。
その言葉をカミさんから伝えられ、すぐに思ったことがある。「10年後に障子を張り替えてもらうとき、こっちの命の張り替えもお願いしないといけないかも」と。
追記:カミさんがこのブログを読んで、「私も障子を張れるで」と言った。三鷹の借家にも障子があった。12年間住み、障子を確かに張り替えた。国分寺の家のときは張り替えなかったが。

2018/09/20


トップへ戻る