川北英隆のブログ

就職としての医者は大疑問

指導していた学生(社会人)、ND君とMM君が博士の学位を得た。そのお祝いのため、ついでがあった(ついでに合わせた)ため、東京でささやかな飲み会を開いた。その席でもう一人、学位取得候補の社会人が、日本の医学部は人材の無駄遣いだと息巻いていた。
この社会人学生は実はすごくて、学位取得の最前線にいたのだが、関心事項が幅広く、口から生まれたような性質で(指から生まれなかったのが残念なのだが)、ウサギとカメのウサギだった。ただし寝ていたわけではなく、寄り道のしっぱなしというのが正確な表現だろうか。このため、後輩に次々に追い抜かれ、未だにゴールしていないのだが、依然としてウサギとしての貫禄を持ち合わせている。
その関心の広さから、イギリスの大学に日本の高校生を呼び込むため、活動している。そんな活動を通じて認識を新たにしたらしいのが、「日本の医学部は人材の無駄遣い」である。医者が一定数必要なのは仕方ないものの、日本の若手エリートが例外なく医者を目指すのは大きな問題だろうと主張していた。
何故、今の若者が医者を目指すのか。もちろん、職業としての収入が高いと、誰しも思うからである。親がそれを意識し、子供が少し優秀なら、「何々ちゃん、しっかり勉強して医者になるのよ」と希望している。この結果、最も成績の良い生徒が医学部に進学している。
では、医者の給与と職場環境がどの程度のものなのか。
実のところ、僕も高校2年生のクラス編成の時だったか、医学部に進学しようかなと思っていた。しかし、すぐに止めた。というのも、少しだけ真剣に考えると性に合わないと思ったからである。それに株で儲ければ、医者の収入なんて「何のこっちゃ」である(実現しなかったものの)。
僕の当時の親友の2人が医学部に進学した。で、最後には精神科医になった。結局のところ、あんまり世の中の役に立っているとは思えない。それ以外の同級生の何人かも医者になっているが、親友の2人よりも成績が劣っている。
精神科医になった理由は、彼らと話していると、「楽だから」だと思う。次々にやってくる患者を診る必要もないし、汚い仕事でもない。実際にそのうちの一人は、のんびりとした医者生活を過ごしているし、最後には大学の教員になった。今でも知的障害者の施設の所長(だったかな)である。
親戚にも、知り合い(同級生の旦那)にも医者がいる。収入が普通のサラリーマンより高いのは確かである。「でも」と思わないといけない。高いと言っても普通はたかが1千万円の単位である。他方で、開業医にもなると、長期休暇は無理である。しかも、知り合いの歯医者がこぼしていたが、浮浪者のような患者がやってくる。
能力があるのなら、起業をするか、能力給の企業に勤務するか、そうする方がはるかに高い稼ぎがありえる。汚さもないし、ある程度自由に休みが取れる。
この事実を知らないから、親の色メガネで、一流高校の生徒が医学部を目指している。「アホやん」と思うのだが、その前に、たかが数千万円の収入増のため、日本の将来を担える一流の能力を浪費していいものなのかと思ってしまう。
AIが発達すれば、診断や手術の能力について、その技量に要求される水準が今よりも低くなっていよう。とすれば、医師の資格を見直して、その基準を松竹梅に分け、松はともかく、竹梅は今よりも基準を低くしてもいいと思うのだが、どうだろうか。竹梅の給与はAIにとって代わられる分だけ下がる。その下がった分を松に与えてもいい。
そうすれば、世の中の医者志向が低下する。結果として、他の分野に優秀な人材が流れると考えていい。喜ばしい結末である。

2018/10/04


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