川北英隆のブログ

表現オーバーは逆効果なのに

月曜日、暇があれば(暇がなくても?)吉田類の酒場放浪記を見ている。最近(かな?)、女酒場放浪記があるらしいのだが、これがくだらない番組だそうだ。何故なのか。
二番煎じだけが理由ではない。吉田類の食べっぷり、飲みっぷりの気持ち良さに対して、女酒場放浪記は気持ち「悪い」というか、「もうちょっと、ちゃんと飲み食いせんや」があるらしい。
それはともかく、女酒場放浪記の最大の欠点は、「うまい」、「すごい」がいかにもオーバーだとか。そんな叫ぶほどの食べ物、飲み物がそんじょそこらに転がっているはずがない。それとも、女酒場放浪記の出演者が乞食上がりなのかもしれないが。
いつもというか、ちらっと見て思うのだが、最近の料理番組の出演者は、女酒場放浪記と同じで、騒ぎ過ぎである。目立つことで出演を続けたいと、騒いでいるに過ぎない。出演者が目立つことと、料理の質に何の関係もない。要するに、料理は付け足しである。
そんなくだらない番組を誰が演出しているのか。そのプロデューサーは、自分の番組はもちろん、他社の番組を見たとして、何も感じないのだろうか。多分、何も感じないか、そもそもテレビを見ていないのだろう。
見ていれば、そんな叫んで大袈裟に進行させる番組について、それこそ完全に嘘っぽいと思って当然である。「アホなことしてる」というので、自分がプロデュースしている番組を違う路線に進ませようとするに違いない。
それとも、何かを感じてはいるのだが、番組全体が料理店や飲み屋や酒造会社などのコマーシャルであるため、「うめー」と叫ばさざるをえないのかもしれない。メーと叫ぶヤギさんかいな。
プロデューサーには、少なくとも吉田類の酒場放浪記だけは見てほしいと思う。重要なのは「自然」だとわかるはずである。
もちろん、吉田類とて、まずい料理をまずいとは言わない。言葉数が少なくなるだけである。何回か見ていると、その吉田類の癖がつかめる。とすれば、「この料理は口に合わなかったのやろな」と、大体のところが理解できてしまう。
この自然さが重要であり、それが番組の評価を高める。他の番組のプロデューサーは何を学んでいるのか。いずれにせよ、不断の勉強をしてないのだろう。

2018/10/15


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