川北英隆のブログ

内モンゴルからの留学生に会う

研究室からの帰り、声をかけられた。大学の構内を離れた瞬間だった。若い声だった。誰かと見れば、顔に見覚えがあるものの、名前はもちろん、どこで会ったのかも思い出せない。
立ち止まると相手が自己紹介した。内モンゴルからの留学生だと。それで思い出した。同志社大学の大学院で非常勤講師を頼まれていた時、モンゴル人の学生から将来の進路に関して相談を受けたことがあった。
内モンゴルに住むモンゴル人として、教育で使われる言語はもっぱら中国語だったとか。両親はモンゴル語を話すので、彼もモンゴル語を話せる。しかし、読み書きは教育を受けなかったのでできなかったらしい。
調べると、内モンゴルでは昔ながらのモンゴル文字を使っている。モンゴル国ではロシア語のキリル文字を原則として使っている。同じモンゴル人でも、国が違うため、分断された状態にあるらしい。
それはともかく、モンゴル人なのにモンゴル語の読み書きができないことに悩んだらしい。それで、同志社の修士を終えた後、14ヶ月間、モンゴル国でモンゴル語を習ったとも話していた。
その後、しばらく就職したのだが、もう一度日本に留学することにして、今は京都大学の教育学研究科に在籍しているとのことだった。理由は、モンゴル人の力を付けるためには教育が重要だと考えたからだそうだ。同志社での留学時代は経済力だと考え、金融を学んでいたのだが、悩んだ末に教育に転向したと説明してくれた。
僕の意見として、金融も重要だが、教育も重要、どちらを選択しても正解だと言っておいた。アフリカを旅行して思うに、教育環境が整わないことには国の発展はない。もちろん、教育のためには資金が必要である。ともに真実なのだが、個人としてはどちらか1つの選択が現実的だろう。
モンゴルは旧ソ連と中国に翻弄されたし、今もそうである。そもそもモンゴル人は遊牧で生活していた。留学生も祖父だったか、その時代はパオ(ゲル)を使い、遊牧していたとか。それが国境により、モンゴルと内モンゴル(中国)という2つの地域に引き裂かれた。
その中で、どうすればいいのかとインテリは悩むのだろう。日本として、モンゴルはもっと支援しなければならない国である。言語的にもアルタイ語族として共通部分が多いわけだし。

2019/01/10


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