川北英隆のブログ

鳥羽で過疎を痛感する

伊勢神宮と鳥羽を旅行したのが超ゴールデンウィーク、10連休明けだったこともあり、空いていた。ホテルの予約もあっさりできた。さすがに伊勢は三重最大の観光地、人を見かけたのだが、鳥羽はというと、どこに人が住んでいるのかと思うくらいだった。
Wikipediaによると、鳥羽という地名の由来は「船の泊まる浦」、つまり港である。泊浦、泊場らしい。戦国時代には九鬼氏の本拠地ともなった(樋の山に城があったと書いてあるが、地形図にある樋ノ山ではなく、近鉄中之郷駅の北側にある高台)。江戸時代には上方と江戸を結ぶ航路の中継地として栄えたらしい。
現在、JR紀勢本線の多気駅で参宮線が別れ、伊勢市駅を経由、終着駅が鳥羽となっている。歴史的には参宮線の方が古く、1911年に鳥羽まで開通したとある。紀勢本線の方は、多気駅以南の延伸工事の一部完成が1923年だそうだから、正しくは参宮線を延長して今の紀勢本線の東側になったと書くべきかもしれない。
そんな鳥羽だが、駅を降りても住民の姿をほとんど見かけない。実は2012年にゼミ合宿を鳥羽で行ったのだが、その時にも寂れた感じがした。人口は1.8万人、市の規模ではない。市役所としても痛感しているのか、2010年に過疎地域自立促進特別措置法の適用を受けたとある。
現在の鳥羽の産業は観光と漁業だろう。観光といっても、見るべきものは海だけに近く、その展望を売りにホテルが乱立している。そのホテル経営も大変だろう。
漁業は、かつては洋食ではない、養殖真珠だったが、今は斜陽である。真珠を販売する店が市内に目立つが、商売として成立しているとは到底思えない。
鳥羽周辺の海に設置されて養殖イカダで育てているのは、昔は真珠貝(アコヤガイ)、今は牡蠣とのこと。観光用、レストラン用に大量消費されるようだ。
ホテルからの送迎バスに乗っていると、市内近くを婆さんが二人、よちよち歩いていた。鳥羽で見かけた数少ない通行人である。もう少し若い年代は(といっても、すごく若いのは希少だろうが)、漁業かホテルの従業員として働いているようだ。もちろん、鳥羽といえば海女、伊勢エビやアワビである。これも鳥羽の漁業である。
宿泊したホテルの仲居さんも漁師の家の生まれだと語っていた。そのホテル、とりあえずのところ流行っているらしく、女性の新入社員を紹介する張り紙もあった。住み込みでの仕事だろうか。鳥羽市内まで車で20分かかる。市内を歩くことはまずないだろう。
市内を歩くのは、よちよちの爺さんか婆さん、それと観光客くらいと思える。学校もあるから、学生がいそうなものだが、平日だったのに見かけることがなかった。
写真はホテルから見た景色である。養殖筏が浮かび、時々漁船が行き来する。向かい(中央)に見えるのは菅島である。カンラン石を含む岩(カンラン岩)を採掘している。矮小化したツゲなど、植生も珍しいとのことだった。
20190512菅島.jpg

2019/05/12


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