川北英隆のブログ

ネットによる社会変貌に考える

今日、京都大学において株式会社コルクの代表、佐渡島庸平氏に講義をお願いした。講義は「企業価値創造と評価」の一環なのだが、今までにないスタイルで面白かった。
ついでに書いておくと、面白かったというと、真面目な東京人に怒られることがあるし、実際に怒られた。でも関西では、面白いとは(実際の表現は、おもろかった)、非常に興味深いという意味で、最大の褒め言葉である。
どう面白かったのか。形式的には、何の資料も投影もなかった。これは6年目に入ったこの講義シリーズで前代未聞である。1枚のスライドで話した講師は複数名いたものの、彼らは原稿を用意していた。今日は原稿もメモもなしだった。それが本来の喋り方だし、ネタがいくつかあればそれをつなぐだけで十分なのは理解できる。
佐渡島氏は聴衆の(学生の)反応をみつつ、話題を展開していくらしい。僕が講義するときにも、当然ながら学生の反応をみつつ説明の仕方を変えるが、自分自身にとって面倒だとか(たまには定義や用語や数式を忘れたとか)によって、端折ることがある。僕としても、旅行記とそれによる各国経済などを自由に喋らせてくれれば資料なしに喋れるのだがと、思ったりもした。でも、写真が必要かな。
佐渡島氏にはコルクを起業するための思いがあったらしい。南アフリカでの原体験(マンデラ氏の大統領選出)である。それがコンテンツの重要性の思いにつながり、起業に至ったとのこと。この経緯は感動深かった。何を体験するのかにより、関心はもちろん、人生の方向性さえ変わる。
しかし、佐渡島氏の良さは、それを客観的に見ることのできる能力である。その大統領選の最中、一般大衆に変化があったのかといえば、昨日も今日も明日も、変わらぬ生活をしていると見抜いた。
僕の経験からすると、1971年のニクソンショックの日(大学生だったが)、何も変わらない日常が過ぎ去った。支配層(日本の内閣や日銀など)は別の感覚を持つだろう。この日常性と支配層の感覚の差は、多くの識者が指摘していることでもある。
佐渡島氏の話が展開し、VR(Virtual Reality)になった。僕自身はVRにも興味があり、かつて随想を書いたこともあるのだが、少し過去のこと、今現在の進化を知らなかった。佐渡島氏が言うには、すでに実体験と言うか体感できる状況になっているし、それを知らないで起業するのが難しくなっているらしい。
それで驚いたのが、佐渡島氏の質問に対する聴衆(京都大学の学生)の反応である。VRの世界に入ったことのある学生が皆無か、ごく少数なのである。それが悪いことなのか、正常なのかはわからない。でも、御法度でもなければ、時間と能力にあふれる学生だし、入ってみようとの感覚があってもいいのではないか。
断っておくが、僕が若かったとしても、多分今のVRの世界に入らないと思う。というのも、そういう流行に迎合するのが大嫌いなタイプなので。さらに付け加えれば、今は誰もが(無意識が多いだろうが)使っているGPSに注目し、その機器を僕が購入したのは1990年代の半ばである。その当時は流行っていないし、「すごい」と思ったからである。
それはともかく、京都大学の学生、技術革新が展開している東京という中央にいないからなのか、そもそも保守化してしまったからなのか、VRに対する関心が低いのは残念だった。京都の長所である、「多様性」や「先端を模索する」、そういう志向が薄れているのか。そうだとすれば、京都に拠点を置く企業の良さも、いずれ薄れるのかなと懸念してしまった。
追記:コルクで検索して出てくる佐渡島氏のイラストと、実物の印象とは相当違っている。この点に注意を。

2019/06/06


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