川北英隆のブログ

何とかならへんのか京都の野菜

前から書こうと思い、いつも忘れていたのが「京都の野菜の不味さ」である。わが家は野菜大好き、僕なんかは野菜を丼鉢で食べるほど。ところが、不味いと思うほとの酷さである。
京野菜と称せられる。東京人にとって垂涎だとか。京都の野菜は(関西全体にそうなのだが)種類が豊富で、懐かしいのも多い。その京野菜を貶しているわけでない。
もっとも、京野菜は値段が問題、そんな野菜を丼鉢で食べれば財産を失う。正月か特別なことでもないかぎり、わが家では普段食べない。普通の野菜を買い、食べるのだが、その多くがハズレである。
わが家の近くで普通の野菜が買えるのは野菜の専門店(八百屋が大きくなった店)かデパートである。その多くが「アカン」としか言いようがない。しかも高い。京都に転居してすぐにそう思った。
京都に移る前に住んでいた国分寺や三鷹の野菜が良かったのかもしれない。近所に農家があり、畑の横で旬の野菜を直売していた。それが高くなくて美味かった。今住んでいるマンションには畑をやっているお婆さんがいて、ときどき旬の野菜をくれる。それも美味い。
そもそも、母親の実家は農家だから、子供の頃は野菜を山のように食べた。サラリーマンになってからも母親経由で野菜を送ってもらったことがある(宅配代が高そうだが)。だから野菜の味にうるさいのかもしれない。
京都の野菜の不味さは、鮮度の問題だろう。収穫したのが店頭に並ぶまでに日数がかかっている。さらに、店頭に何日も並んでいる。今が旬のアスパラなどは軸が硬い。豆なども古くなって、種に接近している。そんな廃棄寸前の野菜を専門店やデパートの店先に並べるなよと思ってしまう。
京都の問題点は、市内に大きなスーパーがないことか。それはメリットでもある。おかげで小さく昔ながらの良心的な店(とくに魚屋)が残っている。しかし、野菜のような、かさ高いのに値の張らない品物を扱う店の質が落ちるのかもしれない。
それにしても、そんないい加減な野菜しか提供できないような専門店やデパートって何なのか。「役にたたへんな」、「もう少し工夫して仕入れたらどや」である。
ということで、僕は普通、京都の京野菜も勧めないようにしている。少なくとも、意気込んで食べるほどのものでもない。

2019/06/30


トップへ戻る