川北英隆のブログ

昭和2年1月1日とは

先月亡くなった清水昭子叔母さんについて、書き忘れていたことがある。昭子叔母さん、昭和2年1月1日生まれだったとか。だから(多分)昭子だったのだと初めてわかった。でも、昭和2年と聞いて、昭和元年との関係を誰がピンとくるだろうか。
このことを思ったのが、僕の母親が自称昭和元年生まれだったからである。年齢を数えやすくする工夫だった。
忘れたが(忘れていけないので調べたが)、母親は1926年12月2日の生まれだった。大正15年の最後である。大正はその年の12月25日で終わった。同時に、その12月25日からが昭和元年だったとか。つまり昭和元年は7日間しかなかった。
ということで、昭和2年1月1日生まれとは、昭子叔母さんの年齢は母親とほとんど違わなかったことになる。
通夜に出て考えていたのは、昭和2年1月1日と大正15年との関係だった。というのも、昭子叔母さんが母親よりもかなり若いとずっと思っていたからでもある。それが1ヶ月位の差だったとは、にわかに信じられなかった。そもそも生まれてもいない時代の元号の感覚が、自分自身の老化とともに揺らぎつつあったからでもある。
思い出したのは、東京証券取引所の入口で待ち合わせをしていた時、暇だったので周囲を眺めていると、工事の標識が立てられていたことである。そこに瞬時には理解できない「事実関係」が書いてあった。今となっては写真を撮っておけばよかったと思うのだが、その時にそんな意欲もなかった。
何が書いてあったのか。簡単に書くと、(記憶によると)「昭和○○年に工事した建物の一部に、平成△△年の調査によってアスベストを使用していることが判明したため、平成??年から令和◎年までの間、アスベストの除去と改修工事をする」というものだった。昭和、平成、令和が混じった標識って何なのか。誰が瞬時に理解できるのか。
この標識、役所が設定した規則に基づき形式的に公示したものだから、年の関係を理解できようができまいが、実質に何の影響もなく、役所の自己満足でしかない。意味があるとすれば、工事の開始と終了の年月日くらいか。
とはいえ、「こんな標識が親切だと思っている者がどこにいるのか」、「いるとすればアホか余程のオタクでしかない」、「そんな意味のない元号による年の表示なんて、皇室の行事はともかく、普通の生活での場で使ってほしくない」と、いつもながら思うばかりだった。

2019/07/06


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