川北英隆のブログ

弘世徳太郎さんの逝去

訃報が届いた。日本生命の副社長であり、ニッセイ基礎研究所の初代社長だった弘世徳太郎さんが6/28に亡くなられたそうだ。満95歳とある。
ニッセイ基礎研究所の創設時、弘世徳太郎さんが社長、僕が研究員だった。直接の指示はほとんどされなかったと思う。番頭的な(確か)専務から指示が下ってきた。
思えば30年も昔である。直接の上司以外、その上に誰がいて、どうしたのかはほとんど覚えていない。弘世徳太郎さんが初代の社長だったことも、実はネットで確認した(間接的な確認だが)。
弘世徳太郎さんに関する印象で一番強いのは、実はその以前、1980年代の前半である。
マッキンゼーというゼニの高いコンサルが入り、ニッセイの証券関係ビジネスをどうするのかを議論していた。ニッセイ側の事務方として、華麗な転身を続けている出口氏、副社長にまでなった宇治原氏、そして親しみの持てるキャラだった続谷(つづきだに)氏と僕の4人が組み込まれた。
その時に(多分)初めて弘世徳太郎さんの部屋に入り、喋ったと記憶している。副社長だったはずである。大きな部屋にアフリカなどから調達した大きな木彫りの仮面などが飾られていた。昆虫の標本もあったと思う。
弘世徳太郎さん、出張の合間を縫って各地の文化を見て歩き、ジャングルで蝶などを採集するのが趣味だったとか。誰かに聞いたが、休日に大菩薩に一緒に出かけ、カミキリムシを採集した秘書だったか、部下だったがいたとか。
良家の出自らしく、教養があった。文章も洒脱だった。基礎研の頃、大きな瓶が給湯室兼休息室に運ばれた。何かと思うと、焼酎が入っていた。非常に美味そうだったので、17時過ぎを見計らい「風邪薬や」と言って何杯か飲んだ。どこで手に入れられたのか。
弘世徳太郎さんがニッセイ基礎研究所の初代社長だったのかどうかの記憶が数%飛んでいたにもかかわらず、美味かった焼酎の記憶は1%たりとも劣化していない。その恩に感謝しつつ、ご冥福を祈りたい。

2019/07/03


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