川北英隆のブログ

円安と食生活の劣化

つい最近、日にちは忘れたが、日経のコラム「大機小機」に「円高、いいじゃない」との主旨が述べられていた。僕も円高が望ましいと思っている。しかし、時々書いているように、「長期的には円高になりそうもない」と思うので外貨資産の割合を多くしている。
その「大機小機」の筆者(ペンネーム)は隅田川である。多分僕が知っている筆者である。彼の「円高ええやん」説は、そのコラムを探し出して読んでほしい。
僕としての円高が望ましい理由は簡単である。日本人の生活が豊かになるから。
もちろん、日本企業がしっかりしていて、従業員に少なくとも今まで通りの賃金を支払ってくれるとの前提である。経営者がしっかりしていれば、この前提を満たすのは簡単である。
それで、円高になれば海外から高級品を輸入したとしても、日本人として安く手に入る。逆に、海外からの観光客にとって日本の物価が高くなるから、京都の観光地を外国人に席巻されることがない。ましてや、まあまあの居酒屋に外国人が居座ることも少なくなる。日本の高級食材を奪われることもない。
現実はと言えば、円が安く、かつ日本人に「買う力」、すなわち購買力がないものだから、美味いものを外人にさらわれ、日本人はファーストフードや安物に追いやられている。
ハンバーガーのどこが美味いのか、僕には理解できない。安物の肉というか、独特の臭さが漂う。ケンタはまだましだと思うが、家のニワトリのほうが美味いし、海外(ルワンダやパプアニューギニアなど)で地鶏を食べると、ケンタなんかで食べたくなくなる。
近頃は「サバ缶」が流行っているとか。このためサバの値段が上がっているようで、困ったものだ。「サバ缶」、大学の貧しい下宿時代に「腹減った」というので、サバ好きの僕としては食べたが、その時でさえ1缶を食べると嫌になった。
今のサバ缶はもう少し味が良くなっているのだろうが、そんなのを食べるよりも生のサバを買い、醤油焼きにしたり、シメサバにしたりで食べるのが圧倒的に美味い。突然「誰がするのや」という声が聞こえてきた。主婦や主夫に任せるしかないかも。もしくは、僕の知人のように魚のさばき方を習うことだろう。
日本人の子供、ほんとうに美味い料理を味わえないなんて可愛そうだし、日本の将来の食生活はどうなるのかと憂いてしまう。

2019/09/28


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