川北英隆のブログ

春日山の奥の芳山に登る

奈良に泊まった翌日の朝、春日大社を案内してもらった。その後、ホテルで朝食、解散となった。僕は「もう1つ、ついでに」と思い、春日山の奥に入ることにしていた。目的は、柳生街道をたどり、途中にある芳山(ほやま、517.8メートル)に登ることだった。
ホテルを10時少し前に出て、近くのコンビニで昼食をゲットした。昨日アップした興福寺の写真はその時のものである。
柳生街道から芳山に向かうため、まず新薬師寺を目指す。2車線、歩道付きの、奈良にしては珍しく立派な道路である。春日大社の南の縁にも相当する。
新薬師寺への道を右に分け、そのまま進むと分岐になる。まっすぐ進めば春日山遊歩道、右に少し下れば能登川沿いの柳生街道である。行きは柳生街道をたどることにした。観光用の道につき、柳生までの標識はしっかりとある。
この道、小学6年の夏休みに歩いたことがある。中学進学のために模擬試験を受けていたのだが、その会場で春日山の自然観察的なハイキングを募っていた。僕が進んで希望したのか(多分ありえない)、模擬試験での友達が誘ったのかは忘れたが、それに参加した。石仏を見学しつつ、付近の石や地質を観察し、若草山の東側にある鶯の滝まで歩いた。記憶はそこまでである。
柳生街道、入口には人家がある。すぐに道が細くなり、舗装が終わる。石がゴロゴロし、そのうちに石畳が多くなる。かつての古い街道の名残である。歩きにくいものの、当時、泥濘む土の道と比べれば素晴らしく感じられたのだろう。石英や雲母を多く含んだ石が落ちている。小学6年のハイキングでは、それらの石の説明があったと記憶している。
朝日観音(石に彫られた仏さん)を見る。その手前にも同様の石仏があるらしいのだが、昨日はパスした(表示を見つけたが、探さなかった)。
川が細くなり、辻になる。首切地蔵が辻の奥に祀られている。名前だけ思い出したが、石像の姿は記憶になかった。子供の頃から興味がなかったのだろう。
辻からは左側、石畳の道を登る。途中、右手に石窟仏への登路がある。今は崩れて通行禁止になっている。
じきに奈良奥山ドライブウェイに出る。未舗装である。その道を右手(南東)に200メートルほど歩くと、左手に舗装道路が分かれる。これが柳生への道である。この道をさら登る。登りきれば「峠の茶屋」の峠、石切峠である。
石切峠付近から芳山に登れるはずだか、それらしい踏み分けが見つからず、峠の茶屋の前を通った。おじさんが「わらび餅がありまっせ」と呼び込んだが、朝食で腹がいっぱい。
さらに道を探しつつ歩いたものの、上誓多林(かみせたりん)の村に出てしまった。左手上に神社があったので、ひょっとして芳山への道があるかもと思って登ったが、それらしいものはなかった。
引き返しつつ、登り口を探したところ、茶屋の手前で、怪しいながら山に登る踏み跡を見つけた。それをたどった。倒木など少しあるものの、まあまあ登れる。
地形図でいうと、上誓多林の神社から西北西に伸びる尾根上の小ピークにたどり着いた。GPSで方向を確かめつつ、そのピークから一旦下り、北西に向かって平坦な尾根を歩き、次のピークの南側に着いた。ここで石切峠からの道に合流した。しっかりした道である。
少し北に登り、ピークに着いた。標識があり、芳山南峰、520メートルと。地形図で確かめると、確かに芳山(三角点峰)より高い。
北向きに下り、登り返すと芳山である。12時にはまだ時間があった。
この付近、入山禁止の表示やロープの張ってある箇所が多い。マツタケでもあがるのかと思うが、植林だらけで松の木が見当たらない。
芳山からさらに北に歩いてもいいのだが、とくにこれというものもない。石切峠付近からの正規の登山口を確認したいので引き返した。
南峰からの下りは植林の中の道だった。道はしっかりしているし、表示もある。
柳生街道に出ると、そこは石切峠から20メートルほど柳生側に歩いた地点だった。地形図もそうなっているから、図面を拡大すれば判明し、間違わずに登れたかもしれない。
ただし、登り口には何の表示もない。注意して見ると、少し登った箇所にテープが張ってあるだけだった。
後は原則、来た道を戻るだけである。
写真は芳山の三角点である。周りは雑木林、展望は何もない。
20191021芳山.jpg

2019/10/21


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