川北英隆のブログ

恒例の年賀状を変える

この時期は年賀状に追われる。もっと早くスタートすればいいのだろうが、追われるまで何もしない性分である。依頼された原稿書きと同じである。それに加え、今年は年賀状の方法を変える作業も本格化したから、なおさら時間が必要だった。
何をしたのか。年賀状のネット化である。実は昨年、実験的に開始したのだが(このことは書いた)、今年は本気で進めた。そのためにはメールアドレスが必要になる。このアドレスの取得が時間との戦いになる。
昨年から実験的に進めておいたので、今年は多少楽だった。それでも、紙ベースでの年賀状作成だけの過去の年末に比べて時間がかかる。何とか今年は半分近くまでメールアドレスの取得ができた。来年以降が楽になるだろう。
ネット化がどこまで進むのか心配だったため、今年は昨年と同程度の枚数の官製の年賀葉書を購入していた。その1/3以上が未使用で終わりそうである。もったいないが(郵便局で切手に替えるしかないだろうが)、仕方ない。
いずれにせよ、これで年賀状を「生きてる証拠」として簡単に使える。
そうそう、年賀状とは「まだ元気やで」との便りである。でも、その証拠づくりのため年末に時間に追われて苦労するのは問題だし、その苦労のせいで元気をなくし、早死してしまうのなら、本末転倒である。
来年の今頃、もう少し追加作業をすることになろう。アドレスを取得できずに残るのは、メールなんて使わない親戚の爺さん婆さんが主になるだろうか。
来年、僕の年齢のステージがもう一段上がる。それを期に、「これで年賀状を廃止にします」と宣言するのも1つの方法なのだが、そこまでする気はない。生きてる証拠としての年賀状の役割を認識しているから。だからネットという手段を選ぼうとしている。
一方的かつ瞬時にして「生きてる証拠」を送りつけられる相手からすれば、はなはだ迷惑かもしれないと、ふと思うのも確かなのだが。そのうち、「年賀」とあれば、即時に「迷惑メール」に振り分けられるかもしれない。

2019/12/30


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