川北英隆のブログ

大学の学部選択

大学への進学が疑問だと書いたが、「それで、アンタは何で大学に進んだんや」と質問されそうだ。当時を思い出すと、大学に進学すること以外は考えていなかった。しかし、どの学部にするのかは迷った。
一番なりたかったのは何か。天文学者か植物学者、はたまた探検家というところだった。本当はその当初の目標に向かって進めばよかったのかもしれない。しかし、関西人としての現実主義が邪魔をした。
多分、天文学者か植物学者になったとしても食えないだろう。中学時代のクラス担当の教員が植物学者だった。前にも書いたが、京都のええとこの出だから、植物学者として生活できるのかなと思っていたものだ。天文学者はあまりイメージがなく、単に星の観察が好きというだけだった。
探検家はどうか。ある出版物『輝く株は発見できる―山に登って金融市場を探検しよう』に書いたのだが、ヘディンなどの著作を読むにつけ、残念ながら探検家としての体力がないと自覚し、現実の選択肢から外れた。
僕がイメージしていたのは、失礼ながらゴリラなどの動物の探検ではなく、自然の探検だったから、果たして探検する地域が残っているのかどうか分からなかった。探検家を目標としたのなら、それこそ大学に進学していいものかどうかも迷っただろう。
高校2年か3年の時、進学の方向を決めないといけなかった。多分2年のときだったかな。最初は医学部かなと友達と話していた。今の親の感覚と同じで、「儲かる職業」みたいだったから。でも、本気で勉強しなければいけない。それが嫌だったので、結局は経済学部にしたと思う。
経済学部を出るとサラリーマンとしてそれなりの給与をもらえるだろうというのが理由の1つ。もう1つは公認会計士という資格があるのを知っていたから、それでもいいかなという理由があった。
それに経済学部なら、そんなに勉強する必要もなく、入学試験に合格しそうだったから。そうそう、具体的な大学名だが、関東を選ぶ気がまったくなく、関西地区で奈良から近い京都大学しか念頭になかった。
要するに、受験のための勉強が嫌いになっていた。少なくとも面白くなかった。それと関西人としての現実主義が方向性を決めたことになる。
その年の入学試験は特殊で、東京大学の入学試験が中止になった。それで京都大学の競争率が上がった。それと、実際の入学試験だが、得意としていた数学の試験問題が易しすぎて、そこで差をつけられなかった。結果は敗退である。
4月を迎え、予備校に行かなかった。黙々と勉強しても仕方ないし、必要もないと思ったのが本音である。家にいて、1年後に受験する学部をどうしようか多少悩んだ。思い浮かんだのが、探検家は無理だとしても、国土地理院に勤め、測量などのために自然の中を駆け巡ることだった。「ええ案や」とは思ったものの、大きな障害があった。
少し調べたところ、京都の地理関係は文系に属していて問題外だと思った。東京は理系で測量などもやるようだったが、入試で受かるためには理科の受験科目を1つ増やさないといけない。僕の場合、物理か化学だった。数学は何とかなるにしても、物理や化学を高校時代に最後までやったわけではなく、どちらかの勉強を最初からやらないといけない。
とすれば、もう1年、浪人する覚悟が必要だろう。そこまでの意欲もなかったので、当初のまま経済学部の受験を選択した。
結果は略歴に書いたとおりである。良かったのか悪かったのか、いまでも時々考える。

2020/01/09


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