川北英隆のブログ

武田家の小山城址

高根山のために乗ったバスから偶然見つけたのが小山城址。地形図には「能満寺のソテツ」が記されている。それを車窓から探していたら近くに城があった。最近建てられたものだが、丘の上にあり、目立った。そこでソテツと城を見学しようと思い、急いで高根山から戻った。
能満寺と小山城址はバスを降りた片岡の北側にある。バス停としては北片岡特別支援学校前の方が近い。実のところ、高根山へも北片岡で降りるほうがいい。さらにしょうもない情報を書いておくと、バス代も確か30円安かったと思う。
片岡の町に入り、バス停の少し手前から北に折れた。城が立派に見える。能満寺と小山城址は全体として吉田町(島田市ではなく榛原郡吉田町)の公園になっている。
まずは能満寺のソテツを見学した。ウィキペディアによると、このソテツは大阪の妙国寺のソテツ、静岡市清水区の龍華寺のソテツとともにソテツの3名木とされている。確かに立派だった。
その後、急な石段(男坂)を登り、丘の上にある小山城址を見学した。城址の片隅に城がある。この城、吉田町が建設した展望台であり、元々の天守を模したものではないようだ。入場料は200円。小山城址ゆかりの刀や書状などの展示場でもある。
戦国時代、桶狭間の合戦の後、基本は大井川を境にして、静岡側(駿河)は武田、浜松側(遠江)は徳川の支配になったが、大井川から西に武田が食入り、小山に城を築いた。小山は掛川の南に位置する高天神山の城と並び、武田の重要な拠点だったそうだ。両方とも山城である。
1581年、高天神山が徳川の手に落ち、翌年に武田は小山城を放棄、その後1ヶ月足らずで武田が滅んだ。
この小山城址、当時はすぐ西を大井川が流れていたとか。今でもその名残だろう、小さな川が多く流れている。
小山城のあった丘はこの大井川の流れで削られたようで、今でも三方が急峻である。当時、流れと崖のため、小山城を攻めるには西側の丘を伝うしかなかったようだ。
写真をアップしておく。上は能満寺のソテツである。下は片岡付近から見た小山城址の丘である。なお、高天神山のことは2017/11/20-22に書いた。
20200301能満寺のソテツ.jpg

20200301小山城址.jpg

2020/03/01


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