川北英隆のブログ

いよいよ満70歳に

近々満70歳になってしまう。父親が70歳になった時、計算してみると僕はまだ30代だった。郡山の父親と離れて暮らしながら、70や80になると何を思うのだろうと、時折考えたものだが、その年齢になるにつれ何となくわかってきた。
一種の諦念かもしれない。今さら焦ったところで大したこともできない。そういうことなのかなと思う。
そうそう、体力というか体も衰えてくる。底知れず飲めたのが(水かいな)、今では限界にすぐに達してしまう。
ここまで書いて思い出したことがある。小学生の時だったか、水道水をどこまで飲めるのか、同級生と競争したことがあった。浄水場の水を飲み干すつもりはなかったのだが、結果としてそういう雰囲気になった。どういう方法で飲んだ量を確認したのかは忘れたものの、2人ともすぐに限界がきて、「あかんな」と引き分けたように思う。
アルコールではいくつかの思い出がある。
最初に飲んだのが大学、山歩会の新入部員歓迎コンパだった。多少のアルコールは経験があったものの、限界まで飲んだことがなかった。大文字山の火床で安物の日本酒を水代わりに飲んでいたところ、完全に限界を超えた。山からの下りは覚えているものの、下りてからの記憶はあいまいである。
フランスとイタリアの国境の山を日帰りで登ったその夕食時、安ホテル近くの料理屋に出向き、暑さで喉が渇いたと理由をつけつつ、生ビールを美味いなとジョッキでガンガン飲んでいた。もっと飲みたいと注文したところ、店主が「生ビールの樽が空になった、お前ら2人がみんな飲んだから」と言う。でも「別のビールならある」とも。その店主お勧めのビールを2杯程度飲み、「今日はここまで」とした。翌日、すっきり起きた。
バブルの頃、(自分で払っていないので、多分)少しだけ高級な店で飲んでいて、当時希少だった越乃寒梅を飲もうとなった。適当に飲んでお開きにしたところ、1人1本(一升瓶)程度飲んだので、店側が何やらぷつぶつ言っていた。翌日の仕入れが大変だということなのか、それとも勘定を払ってくれるのかと心配したのか、理由はいまだにわからない。
現実に戻ると、食事の量の限界がすぐに来るし、パソコンを見ていると目がちかちかする。後者は、山に1日入ると翌日はすっきりしてしまうから、仕事のし過ぎかもと思っているのだが、真実は不明である。
以上を反省としつつ、仕事も飲み会も適当に、好きなものだけに限定し、残り何年かはともかく、30年は無理だろうから(100歳まで生きるわけがないから)、思うがままに(思うがままなんて「限界」を設けると飲みすぎるかもしれないので、思うがまま未満で)過ごしたいものだと誓うこの頃である。

2020/07/26


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