川北英隆のブログ

宗教とは統治手段である

イスタンブールの世界文化遺産であり博物館とされているアヤソフィア旧大聖堂が、イスラム教のモスクに戻されるという。明治維新直後の廃仏毀釈のようにアヤソフィアが破壊されないかどうか心配になる。
トルコの現大統領エルドアン氏はイスラム教保守派や右派を支持基盤としており、その支持を強固なものとするためにアヤソフィアをイスラム教のモスクに戻すらしい。トルコ最高行政裁判所が「アヤソフィアを宗教的に中立な博物館にするとした1934年の閣議決定は無効」と判断した。このことにより、モスクに戻すことが公式に認められた。
そもそもアヤソフィアは、ローマ帝国時代、キリスト教の大聖堂として建設された。焼失を経て、537年に現存する建物として再建され、東方正教会の総本山として使われた。1453年、オスマン帝国が現在のイスタンブールを支配下に置き、アヤソフィアをモスクに変えた。それが先のトルコの閣議決定により、1935年に非宗教的な博物館となり、一般に公開され、1985年に世界文化遺産登録された。
建物の内部に入ると、キリスト教とイスラム教が混在しているのが一目瞭然である。2つの宗教が併存しつつ調和的な雰囲気の強い、感動的な空間が広がっている。キリスト教とイスラム教は同根だから調和するのは当然なのだろう。また、トルコが地理的に西洋と東洋の境に位置すること、文化的にも架け橋であることを象徴している。
それが今後どうなるのか。建物の文化的な位置づけを左右し、その存在さえも否定しかねない宗教とは何なのか。いろいろと考えさせられる。
宗教とは、部族や国を統治するためのバックボーンとしての機能を期待されてきたのだろう。西洋でも東洋でも、部族としての、また国教としての宗教が定められたのがその証拠である。政教一体の考え方であり、部族の長や君主に背くことは宗教に背くことと等しく、神から罰を受けることになる。だから、部族の長や君主の命に背いてはならないとされた。
そこまで極端でないとしても、宗教には、一種のマナーとしての、また法律としての役割があった。通常の状態にあれば、部族全体や国全体が、宗教的戒律と政教一体の体制に納得したのである。
同じことだが、少し卑近な事例で考えると、宗教には祈りや儀式がある。それに加え、生活の知恵も込められている。祈祷が出発点だろうか。最も後発の宗教であるイスラム教の戒律として有名な禁酒は、イスラム教が生まれた暑く乾燥した環境において、死の危険に遭わないための必須の知恵である。
しかし、科学が発達し、宗教的な儀式とは何か、生活の知恵とは何かが問われた。キリスト教の地動説が科学発見による天動説によって否定されたのはあまりにも有名である。
国民の統治システムとしての宗教も否定されてきた。法律が整備され、宗教の必要性が薄れた。信仰の意義を認めるとしても、信仰の対象は多様である。政治は宗教的な知恵だけでは成り立たない。文明的な発展と物質的に豊かな生活を目指すのであれば、宗教が制約になりかねない。宗教を固守すれば、他の価値観との摩擦が大きくなる。特定の宗教に固守するだけでは他国との平和的共存は成り立たない。そこで、宗教を抜きにした条約という法的な契約の締結が求められるようになった。
このように考えると、今回のトルコの措置というかエルドアン大統領の政策は歴史的流れに棹さすものである。でも現在、そういう歴史というか文化的発展の流れに棹さす政治家が多出しているのはどうしたことか。
様々な情報がすばやく行き交う現代社会において、政治家の粗がどうしても目立つ、その粗を糊塗するための宗教回帰なのか。暴力的対処である戦争はもちろん、宗教への回帰、自国主義への回帰、法制度や契約の反故等、政治家の糊塗が目立つこの頃である。
アヤソフィアもまた、その政治的暴力の犠牲となったのか。アーメンと言うべきか、アラーの神を称えるべきなのか、南無阿弥陀仏なのか。複雑な心境である。
写真はアヤソフィアで見かけたキリスト教の痕跡である。
20200712アヤソフィアのキリスト教痕跡.JPG

2020/07/12


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